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ACTS29 100日間の祈り 52日目 ヨハネによる福音書 5:1-16

こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。 2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。 3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。 4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕 5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。 6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。 7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。 8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。 9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。 10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。 11 彼は答えた、「わたしをなおして下さったかたが、床を取りあげて歩けと、わたしに言われました」。 12 彼らは尋ねた、「取りあげて歩けと言った人は、だれか」。 13 しかし、このいやされた人は、それがだれであるか知らなかった。群衆がその場にいたので、イエスはそっと出て行かれたからである。 14 そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」。 15 彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。 16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。 自分もバプテスマを受けて、38年くらい、今まで医者でも治せないたくさんの病、またもっと絶望的な心の病を癒していただいた なので、思う、「なおりたいのか」 イエス様、もっと癒していください。 イエスさまは38年間 苦しんでいた人を癒された。まったく正しかった。それでも文句言われた その...

ACT19 100日間の祈り 第50日目 ヨハネによる福音書4章27-42節

 そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。 感じた事、心に響いたところです。各時代の希望です 「イエスは弟子たちに、「わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがた...

ACT29 100日間の祈り 第47日目 ヨハネに福音書第2章1-10節

 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。 イエス様がくださるものは、いつでも新鮮で新しい。 イエスさまは清めの水をためておく水がめの水を ブドウ汁にお変えになられた。婚宴の席のささやかな楽しみの中で、喜びをもたらすため、また後にその意味が分かるように、清めはイエス様の血であるとお教えになられたのか。 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 なくなったら、通常 買いに行く、誰かにもらいにいく、料理頭に相談する、などなど考えるが、マリヤさんはイエス様に祈った。ここがとても大切 そして、 「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 ああ、わたしもこうさせてください。 何をするのですか?どういう意味ですか?果ては「きよめの水を料理がしらにもっていくのですか」なんて聞かないで、質問なき服従でありたい。

100日間の祈り 第46日目 ヨハネによる福音書第一章1-34節

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。  ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。  それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。  さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。そこで、彼らは言った、「あなたはどなたで...

100日間の祈り45日目 マタイによる福音書4章5ー11節 ルカによる福音書4章5ー13節

それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて 6 言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。 7 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 11 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」マタイによる福音書4章5ー11節 「それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。」ルカによる福音書4章5ー13節 イエスさまは、イエス様が神さまの御子であることを証明するための祈りにはお答えにならない。なので、この精神の祈りはしないことにしています。 祈っても聞かれないと錯覚しているのは、ここに原因があると思っています。なので避ける。聞かれない祈りをするのは無駄だから。これを教えていただいたことは本当に感謝、ずっと失望し続ける...

悔い改めとゆるし 神との関係における成長 第10課 2026年6月6日 

 「救われた民は天の律法のほかには、どんな律法も守ることはなく、すべての人が幸福な、1つに結ばれた家族となり、感謝と賛美の衣、すなわちキリストの義の衣をまとい、自然はすべて、そのすばらしい美の中に神を賛美し、礼拝するのである。世界は天の光をあび、月の光は日のようになり、日の光は今の7倍の光を放つにいたる。喜びのうちに年は進み、その光景を見て、あけの明星はともに歌い、神の子は喜びの声をあげるのである。そして、神とキリストが声を合わせて、「もはや罪もなく、死もない」と宣言されるのである。」 ミニストリーオブヒーリング 第43章さらに高度な体験 「感謝と賛美の衣、すなわちキリストの義の衣をまとい」 今日の安息日学校のテーマの一つ はイエス様の義の衣 礼服の譬にある通り、とても重要なテーマ、なのでこの言葉を見つけた時は「宝物」になりました。 「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。 マタイによる福音書 ここに出てくる人々、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』 この人々はイエス様の義の衣を着ていない。 自分の義、自分の義の衣を着ている。なので、~してではありませんか、という。 イエス様の義の衣を着ている人々なら、すべてイエス様のお恵みです、と感謝と讃美する。 羊と山羊の譬も同じ。右にいる人々はイエス様のお恵みによってしているために、「いつしたのですか」と聞く。 「悔い改めとは、自己からキリストへと向きなおることである。」祝福の山 なので、悔い改めてから つまり「よし 悔い改めた イエス様の所へ行こう」というのは間違い。 「このような悔い改めは、自分の力ではとてもできるものではありません。これは天にお上りになって、人類...