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パリサイ人のパン種とヘロデのパン種

 「彼女はこれまで異教の神々の助けを求めたが、何の安心 も得られなかった。時々彼女は、このユダヤ人の教師がわたしのために何ができるだろうかという考えにさそわれた。しかし、イエスに助けを求めた者は、金持ちであろうと、貧しい人間であろうと、あらゆる種類の病気をいやされるといううわさがたっていた。彼女はただ一つの望みを失うまいと決心した。」 イエスさまは異教の神々の助けを求めている人に対して偏見を持たれてない。 「イエスは答えられなかったが、この女は信仰を失わなかった。彼女のことばが耳にはいらなかったかのように、イエスが通り過ぎて行かれると、彼女はイエスについてきて願いつづけた」 イエスさまは一見 お聞きになられていないかのようにされることがある。それでも聞いておられる。 「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」と言われた(マタイ 15 : 24 ) 「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」と答えられた(マタイ 15 : 26 )。 聖書の御言葉には一見失望されるようなことを言われることがある。 「熱心さの足りない嘆願者だったら、この答に落胆してしまったであろう。ところが女は、自分の機会がきたと思った。イエスは表面拒絶しておられるが、女はその底にかくしきれない憐れみを見たのである。」 「女は救い主を認め、自分の祈りがきかれた喜びのうちに帰って行った。」 彼女は救い主を認めた。彼女の娘が癒されたことは見ていないが、喜んで帰って行った。 「フェニキヤの女は、ユダヤ人と異邦人の間につみあげられた壁に信仰をもってぶつかった。落胆させられるようなことに抵抗し、疑いたくなるような様子がみえたにもかかわらず、彼女は救い主の愛に信頼した。キリストは、われわれがこのようにキリストに信頼するように望まれる。救いの祝福はすべての魂のためである。自分自身でえらぶ以外には、どんなものも、人が福音を通しイエス・キリストにあって約束にあずかる者となるのをさまたげることはできない。」 「キリストとその使命はまちがって解釈され、一般の人々は、自分たちは事実上福音の働きからしめ出されていると思っている。だがキリストからしめ出されていると彼らに思わせてはならない。人間やサタンが築くことのできる壁で信仰によっ...

癒してください ではなく さわってやっていただきたい

  「愛された3人の弟子たちでさえ、どんなに理解がにぶかったかということは、キリストが目の前に迫っていることについてすっかり話されたにもかかわらず、死からよみがえるとはどういうことだろうかと互にたずね合ったことにあらわれている。それでも彼らは、イエスに説明を求めなかった。将来についてのイエスのみことばは、彼らの心を悲しみで満たした。彼らがそういうことは決して起こらないようにと信じたがっていることについて、彼らはもうこれ以上示されることを求めなかった。 」各時代の希望 第47章 奉仕 この時、彼らは死からよみがえったモーセさんを見たばかりでした。それでも死人の中からよみがえるとはどういうことかと、と互いに論じ合ったと書いてあります。 目の前で奇跡を見ていながら、論じている・・・これは自分にはさらに十分あり得る。 「そのうちに、彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、ひとりの盲人を連れてきて、さわってやっていただきたいとお願いした。 イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。 すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。 それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。 そこでイエスは、「村にはいってはいけない」と言って、彼を家に帰された。」マルコによる福音書8章 癒してください ではなく さわってやっていただきたい するとイエスさまはそれを遥かに超えてなして下さっておられる

呪いの言葉

 のろわれたイチジク イチジクの葉はアダムとエバが来ていた。 つまり行いによる義、なのでイエスさまはこれをのろわれた。 'わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。 ' ガラテヤ人への手紙 1:9 パウロさんものろっている。 ウクライナに戦争に行って戦死したら、尊いからすべての罪が赦されるなど。いわゆる行いによって罪が赦されるなどは呪われるべき。

その中にいます主

 「わざわいなるかな、  このそむき汚れた暴虐の町。  これはだれの声にも耳を傾けず、  懲らしめを受けいれず、  主に寄り頼まず、  おのれの神に近よらない。  その中にいるつかさたちは、ほえるしし、  そのさばきびとたちは、夜のおおかみで、  彼らは朝まで何一つ残さない。  その預言者たちは、放縦で偽りびと、  その祭司たちは聖なる物を汚し、律法を破る。  その中にいます主は義であって、不義を行われない。朝ごとにその公義を現して、誤るこ    とがない。  しかし不義な者は恥を知らない。」ゼパニヤ書3章1-5節  驚くほどの聖書の御言葉 え? 「その中にいます主」 こんな滅茶苦茶な中に、神さまはいます? 驚きです  これに続く聖書の御言葉も驚異的です。

偽ることのあり得ない神さま

 「あなたは隣人について、偽証してはならない。」出エジプト記20章16節 十戒は神さまの御品性。 神さまは、嘘がない。つまり聖書に書いてある神さまの御約束を必ずお守りになられる。もし、神さまが聖書のお約束を1度でもお守りになられなかったら、神さまが罪をおかしたことになってしまいます。 「「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った」.」使徒行伝 「主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。」ヘブル13:5 「 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、 白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。 わたしは造ったゆえ、必ず負い、 持ち運び、かつ救う。」イザヤ書46-4 などなど、聖書には、神さまの御約束がたくさんあります。そのたった一つでも神さまがお守りになられなかったら、神さまは罪を犯したことになってしまいます。つまり神さまは絶対に偽証されない。神さまは必ず聖書のお約束をお守りになられる。 それは石の板に、ご自身の指でお書きになられた、つまり消したり、変わったりすることのない神さまのあかしです。 「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。」マタイによる福音書5章17-20節

宝の倉の中の宝石

「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。」ヨハネによる福音書1章1-2節 どうして、「 初めにキリストがあった。キリストは神と共にあった。キリストは神であった。このキリストは初めに神と共にあった。」ではないのか。 神さまの御言葉と人の言葉の違い、それは創造者であられるか、被造物であるか。 わたしが百万回、「光あれ」と言っても、光は現れない。 しかし、「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」 「「そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。」創世記15章5-6節 神さまが「あなたの子孫はあのようになる」と仰せになったら、その通りになる。実際に今、その通りになっている。しかし、この時、アブラハムさんには子供がいなかった。しかし、神さまが仰せになったらその通りになると信じた、主はこれを彼の義と認められた。 神さまが、あなたの罪は赦されたと仰せになった、その通りになると信じた、主はこれを彼の義と認められる。 「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」ヨハネによる福音書6章63節 「イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。 ヨハネによる福音書3章3-8節 「論争や議論によっては、魂に光が与えられない。われわれは仰いで見て生きなければならない。ニコデモは教訓を受け入れてそれを持ち帰った。彼は理論について議論す...