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第5課 聖書の学び方 2026年第2期 神との関係における成長 

 普段していることが、そのまま書いてある。 「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」イザヤ書55章11節 2017年、ロンクルーゼ牧師が天沼教会に来られて、1年間のフィールドスクールを行った。 ヘルスエキスポ つまり 健康祭など あるいはVBSなど行い、 中野の大きな会場、コングレススクエアでWHY GOD プレ講演会を行った。 教会員の中では、その長年の経験上、東京で会場を探すのは1年前から出ないと無理、との声があったが、聖書の「お言葉ですから」の合言葉で、100件くらい捜した。 とうとう、コングレススクエアが見つかり、1日を除いて、4日間予約が取れた。 奇跡だった。 残りの1日も、前のプログラムの方が、大丈夫ということで、結局5日間すべて予約ができた。本当に大きな奇跡で、教会員に大きな信仰の励ましたが与えられた。 当時の天沼教会の牧師さんが、チラシによる日本での見込みは 100枚で1人とクルーゼ牧師に語った。※しかし、実際には10000枚で3人 そして、プロの方に新聞起折り込みチラシ、かなり固いもので、色はほぼ黒、目立つものを作成した。大きな費用をかけ、講演会のチラシを新聞折り込みで中野区 80000枚配った。 ところが実際に新聞折り込みできたのが4人だった。さすがのクルーゼ先生も、がっかりしているようだった、との声があった。その時、先生が口にされたのが、この聖句だった。 今でも、こんなことを経験した人はいないだろうか このフィールドスクールでロンクルーゼ牧師の指示によって始まった天沼教会SNS伝道は 、今、文字通り全世界に向かって配信され、天変地異、パンデミック、戦争にも、左右されず、いえさらにそれ以上の大きな力、驚異的な神さまの風、上昇気流によって広がり、 祈りの力第12回だけで、いいね、リアクションが129万人から来ている。他の動画も、何万が、19万などなど、いろいろあるが数えていない。 これをロンクルーゼ牧師は御存じない。 「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」イザヤ書55章11節 イエス様がお亡くなりになられる時に、イエス様を主、と信じた人はたった一人だった。 モーセさんがお亡...

第4章 聖書の役割  安息日学校ガイド第2期 神との関係における成長

 「したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。」ヘブル人への手紙 どういう意味?? 「どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください」というやもめの祈りは、神の子らの祈りを代表している。サタンこそ、彼らを訴える大敵である。サタンは「われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者」である(黙示録12:10)。サタンは、絶えず神の民を偽って訴え、あざむき滅ぼそうとしている。キリストが、このたとえの中で弟子たちに祈るように教えられたのは、サタンと彼の手下の勢力から救われることである。」キリストの実物教訓 サタンこそ、彼らを訴える大敵である。 「こうした過去の記録の中に、われわれは、われわれの目の前にある争闘があらかじめ示されているのを見ることができる。これらをみ言葉の光と聖霊の解明とによって見る時に、われわれは悪魔の策略を見破ることができ、そして、再臨の時に主の前に「傷なき者として」立つ者が避けなければならない危険をも、見分けることができるのである。」各時代の大争闘 序 「この大欺瞞者が最も恐れていることは、われわれが彼の策略を見破ることである。彼は自分の正体と目的を巧みに隠すために、嘲笑、あるいは軽蔑ぐらいはよいが、それ以上の激しい感情を人々に抱かせないように、自分を描写させている。彼は自分が、こっけいな、あるいは胸の悪くなるようなもの、ぶかっこうな半獣人として描かれることを好む。またサタンは、知力と世知にたけていると自認する人々が彼の名を嘲笑し冷やかすのを聞いて、喜ぶのである。」各時代の大争闘, p. 724.2 (Ellen Gould White) もちろん、他の人へ ではない。とかくニュースでは煽る傾向があるのだが、そこではない。 「神を信じると言いながら、真理の研究を続けないで、自分と意見の合わない人々の人格の欠点とか信仰上の誤りとかを指摘することを自分の義務であるかのように思っている人々が、いつもいるものである。こうした人々は、サタンの右腕ともいうべきで...

第3課 誇りと謙遜 安息日学校ガイド第2期 神との関係における成長

 1888年の謎 先週は、本当に素晴らしい1週間でした。悩んでいた若者に、今、何故SDAかをお渡しする機会、チャンスになり、若者が熱心に読んでくれたことでした。 https://small-light-testimonies.blogspot.com/2015/08/sda_67.html ちょうど30年前に書かれたこの本は 「それはすぐには表面化しないかもしれないが、 私自身この真理に触れたことによってすでに運命のわかれ道を歩み始めたと信じている。知った以上何も起こらない筈がない。聖霊を受けるか、拒むかのどちらかである。 時は迫っており、どこかで何かが起こらねばならない。「今、何故 SDA か」 の解答となる何かが…。」 1888年のメッセージ これは良くわからない。LGT 再臨の間に人は完全になるとの教えの先駆者などと言われていました。 確かに、1888年のメッセンジャーは 「どうして信仰によって義とされるという教理が、神の律法を軽視させると考える必要があるのでしょうか。…義とせられるというのは心に律法が確立される事です。…キリストは御自分の義を 与え、罪を取り除き、御自分の義をそこに据えられます。これはその人を全く変えてしまうのです」 とあり、何も起こっていない自分を見て そう思う・・  これは実は 高慢、感謝のなさ から来ていたことを知った時は本当に大発見でした。 「多くの人々はあちこちの書物を読んで、語り合う。しかし、私は馬鹿だから・・・聖書の箴言から始める」と言った方がいました。すると別の教会員が「そんなことは親から学んでくることよ」と言われたとか。 多くの人々は高慢なので、天にまで続く、長い階段を見て、高すぎる、LGT つまり完全にはならない、と考えていて一歩足を上げることをしない。頂上に到達しないと感謝できないと考えている。これが高慢。足を上げて一歩上がれたら感謝、2歩上がれたら、感謝。それは神さまがしてくださったことだから。 種は種で完全、芽は芽で完全、葉は葉で完全、花は花で完全、実は実で完全、この1888年のメッセージを知らなかったからでした。まさに「そんなこと」が大変重要だったのです。 落ち込む・・のは自己評価が高いから。自己評価が高いと現実の自分を見た時にがっかりする。 「主は我々の承諾なしに我々の罪を 取り去る事はなさいません。私は...

第2課 神を知る 2026年第2期 神との関係における成長

神さまは聖なる御方(異なった御方) 愛の神さま  わたしはかつて、教会のここがなっていない。教団のここがなっていない。職場のここがなっていない、と思っていました。要するに光を、イエスさまを見ていませんでした。だから暗かったのです。 ところが、祈り、証をするようになり、全くイエスさまを知らない方々が、イエスさまのあかしに夜も眠れないくらい感動して下さり、驚いてくださり、医療機器やパソコン、医療物資等々を教会、フィリピンの伝道地、職場、三育学院に次々と送られて来るのにびっくりし、また感動しました。 贈られた先は、自分が批判しているまさにその教会、職場にだったからです。わたしを徹底的に変えた祝福の山の言葉です  「もしキリストが、あなたのうちに「栄光の望み」となるならば、あなたは、他の人々を見張り、彼らのあやまちを暴露しようというような性向を持たなくなるだろう。非難したりとがめたりしようとしないで、助け、祝福し、救うことがあなたの目的となるだろう。 あやまちに陥っている人を取り扱うにあたって、あなたは、「もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい」という命令に気をつけるだろう(ガラテヤ6:1)。あなたは、自分も幾度もあやまちにおちいり、ひとたび離れたら、正しい道を見いだすことが、どんなに困難であったかを思い出すだろう。あな たは、兄弟をいっそう暗い暗黒の中に押し入れることなく、憐れみに満ちた心をもって、彼にその危険を告げるであろう。」 それまで、神さまに心の清めとか、悔い改めとか、いわゆる霊的な事だけを祈っていました。物質的な事を祈るのは「御利益信仰」だと思って祈っていませんでした。仕事では失敗が続き、自分はダメだなあ、と思っていました。 ところが衝撃的な祝福の山の文章に出会います。 「 わたしたちの必要とするもの——物質的、霊的祝福を——日ごとに求めるように教えることによって、神は、わたしたちの益のために一つの目的を達成しようとしておられる。神は、わたしたちが神の絶えざるご配慮に依存していることを認めさせようと望んでおられる。 それは、わたしたちをご自身との交わりに入れようと望まれるからである。キリストとのこの交わり、すなわち、祈りと、みことばのこの上なく尊い真理を学ぶことを通じて、飢えた魂は養われ、渇く者は命の泉でうるおされるので...