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イエスさまが共におられると

「最高の教育を受けた者にも、最も無学な者にも、はっきり示される証拠は経験という確証です。神はみ言葉の真実なこと、み約束の真実であることを私たち自らが試してみるようにと言われました。神は私たちに「主の恵みふかきことを味わい知れ」(詩篇34:8)とお命じになりました。ほかの人の言葉に頼らないで、自分で味わってみなければなりません。神は「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう」(ヨハネ16:24)とおっしゃるのですから、この約束を間違いなく果たしてくださいます。神の約束は今まで違ったこともなければ、これからも違うことはありませんそして私たちがイエスに近づき、イエスのあふれる愛にひたるとき、イエスの臨在の光に私たちの疑いも暗きも消え去ってしまうのです。」キリストへの道 疑いをいかにすべきか 疑いは心の中で議論することや戦う事によって、なくなるものではなく、イエスさまの臨在の光に消え去ってしまうもの。  「これを聞いた女はふるえた。神秘の手が彼女の経歴のページを開き、永遠にかくしておきたいと望んでいたことを明るみに出そうとしていた。自分の一生の秘密を読みとることができるとは一体このお方はどなただろう。彼女の心には、現在かくされていることがすべて明らかにされる来世すなわち未来のさばきについての考えが浮んだ。その光の中に、良心が目覚めた。」各時代の希望 ヤコブの井戸で 5人の夫がいて、彼女の夫ではない人と住んでいたこの女の方が、急に礼拝の事を話し始めた。あまりにも話の次元が違っている。イエスさまが共にいらっしゃる事によって、彼女の良心が目覚めた。彼女はそれがとても嬉しかったに違いない。 「だが悪鬼を追い出してもらったこの2人の思いはこれとまったくちがっていた。彼らは自分たちを救ってくださったお方について行きたいと望んだ。イエスの前にいると、これまで自分の生活を苦しめ、人間性を破壊してきた悪鬼から安全に守られているのを感じるのだった。イエスが舟に乗ろうとされると、彼らはそばから離れないで、足下にひざまずき、いつでもイエスのみことばがきかれるおそばにおいてくださいと嘆願した。しかしイエスは、家へ帰って、主がどんなにすばらしいことを自分たちのためにして下さったかを語りなさいとお命じになった。」各時代の希望 第35章 「静まれ、黙れ」 この二人の方は、イエスさまの前にいると ...

そんな小さな事とは

 命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。」ルカによる福音書12章23-26節 命は食物にまさっている。 しかし、自分の寿命をわずかでも延ばすこと・・・はそんな小さな事 では、世の中の思い煩い、不安、心配、健康、老化、仕事、人が言う事を聞いてくれない、などなどは、どれほど小さな事だろう。 「信じる者には、死は小事にすぎない。キリストは、それをたいしたことではないかのように語っておられる。「もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう。……わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろう」(ヨハネ8:51、52)。クリスチャンにとって死は眠り、一瞬の沈黙と暗黒にすぎない。生命はキリストと共に神のうちにかくされ、「キリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう」(コロサイ3:4)。」                各時代の希望  第81章 「主はよみがえられた」 では、大きな事とは? 「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。」ルカによる福音書6章22-23節 「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。」ルカによる福音書16章10-11節 真の富が大事 「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」 コリント人への第二の手...

存在理由

神さまがイスラエルの民に、カナンの地に入っていくようにお命じになった時、彼らは、10人の斥候の「巨人がいる」などの報告を聞いて、恐くなり入りませんでした。 しかし、今度は神さまが入って行ってはならない、とお命じになった時、入って行かなければ、「恐かったんだろうな」と理由ははっきりしますが、彼らは何とその「巨人がいる」はずの地に入っていきます。 どう考えてもおかしい。メンタルか? 恐かったのではないのです。理由がない。 「それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。」ヨハネによる福音書 なぜなら、最も驚くべき真理は、キリストが、あなたには価値がないというまさにその理由により、あなたを買いとられたということです。彼の目はあなたの内に大いなる可能性を見てあなたを買いとられました。その時あなたに価値があったからとか、今価値があるからではなく、彼があなたを価値あるものにすることができるからでした。 キリストそしてキリストの義 第10章 神に受けいれられるということ E.J.ワゴナーhttps://small-light-testimonies.blogspot.com/2016/02/10-ej.html 神さまは私に価値があったら、愛されたのではありません。理由はありません。 「愛の告白なされると往々にして、恋人は、まるでだれかが愛する理由を言えるかのように「どうしてあなたはわたしを愛するのか」と尋ねます。愛はそれ自体が理由です。もし恋人が相手になぜ愛するかをつけることができれば、その答そのものが彼は本当に愛していないことを示しているのです。愛する理由として彼があげることは何であれ、それらはいつかなくなるかもしれません。そうすれば彼が愛だと思ったものも終わることでしょう。しかし、「愛は絶えることがない」から、愛は環境に依存することはありえません。ですから、何故愛するかという問いに答えられる返事は、「だから」です。「愛だから」愛します。それが愛だからにほかなりません。」 THE GLAD TIDING よきおとずれ ガラテヤ人への手紙に見る福音 E. J. ワゴナー https://small-light-testimonies.blogspot.com/2024/11/blog-post_9.html イエスさまが、救おうと思...

すると同席の者たちが心の中で言いはじめなければ

 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人人に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、 『神がこう仰せになる。終りの時には、/ わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/ 若者たちは幻を見、/ 老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにも/ わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。 また、上では、天に奇跡を見せ、/ 下では、地にしるしを、/ すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、/ 見せるであろう。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、/ 日はやみに/ 月は血に変るであろう。 そのとき、主の名を呼び求める者は、/ みな救われるであろう』。 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。使徒行伝2章14-24節 人々があこがれるペンテコステの場面 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 マタイによる福音書7章7-...