100日間の祈り 4日目 ユナイテッドプレイヤー 2026年5月6日
そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」 マタイによる福音書第3章13~⑰節
聖霊が下る というと、多くの場合 ペンテコステを思う。多くの人が集まって、共に祈っていた時に聖霊の神様がおくだりになられた。それはとても大切な事。しかし、ここにはそれだけではない、ことが書いてある。われわれの模範であられるイエスさまの時にはそうではなかった。
つまり、教会がそうなったら・・・だけではなさそうである。なので、集会を待ったり、しているのは間違い
各時代の希望を見ると「リバイバルは、祈りの応答としてのみ期待できるものです。」と同じ。
「水からあがってこられると、イエスは祈りのために川の岸にひざまずかれた。~
救い主が魂をそそいで祈られる時、その目は天を見通しておられるようにみえる。罪が人々の心を固くしたことも、彼らがイエスの使命をみとめて救いの賜物を受けることが困難なこともイエスはよくご存じである。彼らの不信にうち勝ち、サタンが彼らをとりこにしている鎖をたち切り、彼らのために破壊者を征服する力を、イエスは天父に懇願される。み子イエスのうちにある人性を神が受け入れられるという証拠を、 イエスはお求めになる。
天使たちはこのような祈りをこれまで聞いたことがなかった。彼らは、愛する指揮官イエスに、保証と慰めのメッセージを伝えたいと熱望する。だがそれはできない。天父がご自身でみ子の祈願に答えられるのである。み座から直接に神の栄光が輝き出る。天が開け、いとも清い光がはとのような形をなして、救い主の頭上にくだる。それは柔和で心のへりくだったお方であるイエスにふさわしい象徴である。
ヨルダン川のおびただしい群衆の中で、ヨハネ以外にはこの天の光景をみとめた者は、ほとんどいなかった。しかし神のこ臨在の荘厳さが会衆の上にとどまった。人々はだまってキリストをみつめていた。そのお姿は神のみ座をいつもとりまいている光を浴びていた。上を向かれたイエスのお顔は、これまで人の顔にみられたことのない栄光に輝いた。開かれた天から一つの声がくだって、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と言うのがきこえた(マタイ3:17)。」各時代の希望 第11章 バプテスマ
ここは大変重要な事、
「私たちは全教会がリバイバルを経験するのを望んでいるでしょうか。そのような時は、決して来ることはないのです。」セレクテッドメッセージ
非常に多くの人々が むなしく聖霊を待っていて、全教会がリバイバルを経験するのを望んでいて、滅びゆく人々にではなく、自分の教会のことばかり考えていて、なにも伝道をしないで、年老い、死んでいっている現実がある。
第2日目のところ
「彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。」ルカによる福音書1章15-16節
「母親の腕のなかにある赤ん坊てさえも、祈る母親の信仰によって全能者のかけにやとろのである。パフテスマのヨハネは、生まれた時から聖霊に満たされていた。もしわれわれが神と美じわろ生活をしているならば、われわれもまた、神のみた柔かわれわれの子供たちを、生れ落ちたときから、形づくってくださることを期待できるのである。」各時代の希望 第56章 子供たちを祝福される
なんと!本人は祈っていないのに、母親の祈りで 聖霊に満たされることが可能である。
「ヨルダン川で、イエスに「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と言われたことばは、全人類を含んでいる(マタイ3:17)。神はわれわれの代表者としてのイエスに語られた。どんなに罪や欠点をもっていても、われわれは無価値なものとして捨てられることはない。「神は愛するみ子によってわたしたちを受け入れてくださった」(エペソ1:6・英語訳聖書)。キリストの上にくだった栄光は、われわれに対する神の愛の保証である。それは祈りの力について、すなわち人間の声が神の御耳にとどくことと、われわれの祈願が天の宮廷に受け入れられることとを告げている。罪によって、地は天から切り離され、天との交わりから遠ざけられた。だがイエスは地をもう1度栄光の天と結びつけられた。イエスの愛は人類をとりまき、最高の天に達した。開かれた門から救い主の頭上にさした光が、試みに抵抗するために助けを祈るとき、われわれの上にさすのである。イエスに語られたみ声が、信じている一人ひとりにむかって「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と言われるのである。」各時代の希望 第11章 バプテスマ
ここに絶対に忘れてはならないことが書いてある。
「全人類を含んでいる」 全人類 ここに例外がない
「それは祈りの力について、すなわち人間の声が神の御耳にとどくことと、われわれの祈願が天の宮廷に受け入れられることとを告げている。」。
「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
神さまの使命者、先駆者、預言者以上の方、バプテスマを授けていた方は、いつも謙遜である。
「しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。」
イエスさまは、さらに謙遜。それではわたしがあなたのバプテスマを授けよう、とは仰せになられなった。
「ヨルダン川のおびただしい群衆の中で、ヨハネ以外にはこの天の光景をみとめた者は、ほとんどいなかった。しかし神のこ臨在の荘厳さが会衆の上にとどまった。」
同じ場所に、同じことが起こっても、わかる人とわからない人がいる。神さま、私の目も開いてください。私の家族、私の教会、職場の一人一人の目も開いてあげてください。
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