第6課 祈りの戦士 2026年第2期 神との関係における成長 

祈りの戦士 

どうして戦士??

「サタンは、彼の強力な競争相手に人が哀願することに耐えられません。なぜなら、その方の力と威光の前では、彼は恐怖で震えてしまうからです。熱心な祈りの声を聞くと、サタンの全軍は身震いします」教会への証 第1巻

全軍・・・全宇宙のサタンの全軍が身震いする。

祈りの生活は自分自身だけでなく、ほかの人にも影響を与える。


暗唱聖句

「わたしは主を愛する。主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。」詩篇116扁


聞かれる祈りとは

間違う余地がないまでにはっきりした相違があった


「見せかけの聖潔によって罪への愛着をおおいかくしている形式主義者たちと、神の栄光をあらわそうとする熱意がいつも心の最高位を占めている人物との間にはまちがう余地がないまでにはっきりした相違があった。」各時代の希望 第9章 戦いの日々


聞かれる祈りとは?

「み座の周りにあるにじは、神が真実であって、変化とか回転の影とかいうもののない保証である。わたしたちは、神に対して罪を犯し、神の恵みに浴すことができない者になった。それにもかかわらず、「み名のために、われわれを捨てないでください。あなたの栄えあるみ位をはずかしめないでください。あなたがわれわれにお立てになった契約を覚えて、それを破らないでください」という驚くべき祈りの言葉を神ご自身が、わたしたちの口に入れてくださったのである(エレミヤ14:21)。わたしたちが、自己の無価値なことと罪とを告白して、みもとに近づくならば、神は、わたしたちの叫びに耳を傾けると神ご自身がお約束になった。神がわたしたちに言われた言葉が成就するためには、神の栄えあるみ位がかけられているのである。」キリストの実物教訓 第12章 求めよ、そうすれば与えられるであろう


「この役人は、信じる前に自分の祈りの成就を目に見たいと望んだ。しかし彼は、彼のたのみがきかれて祝福が与えられたというイエスのみことばを信じなければならなかった。この教訓をわれわれもまた学ばねばならない。われわれは、神がわれわれの願いをきかれるのを見たり感じたりするから、信じるのではない。われわれは、神の約束に信頼するのである。信仰をもって神のみもとに行く時、願いごとはすべて神のみ心にとめられる。神の祝福を求めたら、それを受けることを信じ、そしてそれを受けたことを感謝すべきである。それからわれわれは、最も必要な時にその祝福が実現されることを確信して、自分の義務をつくすのである。こうすることをわれわれが学んだ時、われわれは祈りが答えられることを知る。神はわれわれのために、「その栄光の富にしたがい」「神の力強い活動によって」「はるかに越えて」なしてくださるのである(エペソ3:16、1:19、3:20)。」

 各時代の希望 第20章 「あなたがたはしるしと奇跡を見ないかぎり


ガイド 教訓を学ぶ どんな教訓でしょうか


何を学ぶか

マルチンルターさんのあかしの中で、私は忙しくて、忙しくて、1日3(4?)時間しか祈れない、という話を聞いたことがあります。

「宗教改革によって世界を揺り動かした力は、密室の祈りから出たものであった。そこにおいて、神聖な静けさのうちに、主のしもべたちは神の約束の岩の上にしっかりと立った。アウグスブルクの闘争の間中、ルターは、「一日に少なくとも三時間は、祈りに時を費やした。そして、それは、研究のために最もよい時間を割いたものであった」。各時代の大争闘 祈りの力

「イエスさまが祈られている記述の中に「hours」すなわち時間の複数形が使われていると聞き、毎日3時間くらい祈っていた時がありました。しかし、眠くなったりして、今一つであると思っていました。


教会の方と通勤が一緒になりました。

その時、ある青年が「朝起きて、5分で出てきました」別の方が「私も朝起きて、5分で朝シャンして出てきました」

しかし、信仰生活では充実していそうでした。え?わたしは毎日朝起きて3時間祈っているのに、この違いは何???


他の教会員で、毎朝 3時間祈っている人にもお会いしましたが、それほど恵まれた様子には見られませんでした。


数十年前、三育学院大学神学科で「聖霊待望同好会」があり、夜、集まって祈っていました。しかし、しばらく祈って「もう、やめようや~」と特に大きなあかしがあったとは聞いていませんでした。

この違いはない?? パベルゴイア牧師も「いきなり4時間は祈らないでください」と言っている。初めは5分、15分からでも良いらしい。


しかし、祈りの時間を充実する必要があることを知りました。 


あるきっかけで、朝、起きて、悔い改めの祈りをしながら、教会の周りを掃除していました。すると、なんと見知らぬ人から声をかけられました。「あなたの姿が、あまりに美しいので声をかけたくなった」と。

また、ある朝、また別の知らない方から声をかけられました、「あなたから、何かメッセージを受けられる、と思った。」カトリックの方でそこからつぎつぎと証が始まったのです。他にも大変恵まれたことを覚えています。


また「研究のために最もよい時間を割いたものであった」

朝の最も良い時間に、祈り、聖書、そしてあかしを書く、このことをするようになって、勉強は本当に祝福されました。

認定医療機器関連臨床工学技士試験

「新型コロナの中でも、忙しいとか、言い訳したくないし、常に前進していたいと思い、挑戦、今まで通り 「細切れの時間を使い、安息日には何も勉強せず、すっかり忘れる」第一の物は第一にするON OFF勉強法、神さまに感謝でした。実は試験日 会場がわからず(^_^;) 開始ギリギリ?ちょいミスでした(;^_^A。拾いものの認定でした。担当者にも感謝


Certified Hospital Engineer 認定日本ホスピタルエンジニアリング 

本日合格発表、無事に合格。

今回は参りました(^_^;) 仕事で疲れて集中できない・・・眠くなる等々、On Off 勉強法、 音楽勉強を駆使してもダメ ・・・そこで、旧約聖書箴言16章3節の「あなたのなすべき事を主にゆだねよ、 そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。」必ず成るとのお約束で祈りました。すると、その次の朝から、目覚ましをかけていないのに、4時半とか起きるようになり、それがずっと続いて勉強に集中できるようになり、本日合格しました。神さまに感謝・・・


悩む前に、祈る教訓としてはこのあかしです

https://a-small-testimony-series.blogspot.com/2022/04/blog-post_61.html


自己をむなしくするにはどうしたらよいか。

自分を捧げるにはどうしたらよいか

心を清く保つにはどうしたらよいか

教会で度々語られる 課題、問題ですが、答えは簡単明瞭 悩むのが間違い

そもそも自分の力ではできないから。またいつかできるようになるわけでもない。

https://small-light-testimonies.blogspot.com/2013/02/blog-post_3.html


今回のガイドで何も学ぶか・・・

天才は別として、暗唱聖句 1,2節でも暗唱するの何回も読む、なら、この安息日学校ガイドならなおさら。だいたい読んで忘れておしまい。

読んで、あるいは読みながらでも実行しないと、あるいはこのように記録しないと、他の人に伝えないと忘れる。残らない。1年経っても何も残らない。一生かかっても何も残らない。これは当然。残らない方法で学んでも あとでがっかりするところではない。当然だから。

 日曜日 ダニエルさんから学ぶ

「ダニエルは王のところへはいっていって、その解き明かしを示すために、しばらくの時を与えられるよう王に願った。それからダニエルは家に帰り、同僚のハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤにこの事を告げ知らせ、共にこの秘密について天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚とが、他のバビロンの知者と共に滅ぼされることのないように求めた。」

                           ダニエル書2章16~18節

彼らは、共に祈った。ユナイテッドプレイヤーでした。

そのため、共に神さまの栄光を見ることができた。

「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

                         マタイによる福音書 18章

わたしは心を合わせて祈っていませんでした。他の人が祈っている時に、別のことを考えていました。他の人の祈りは聞いていませんでした。

心を合わせていますか?


「多く祈りなさい。だれにも、またどんな個人的な利益にも、あなたを神から引き離させてはならない。このお方があなたの力の源なのである。あなたが朝目覚めたら、アブラハムのように、自分の家族をみな集め、彼らがあなたと共に神を求めるように勧めなさい。もしあなたの仕事が強烈に急を要し、働きに出るよう駆り立てるとすれば、なおさら、祈るための時間をとり、あなたの嘆願を恵みの御座に提示し、神の保護の見守り、助け、あわれみと祝福を確保する必要は大きいのである。神が要求しておられる時間を惜しんで、自分の仕事に急いで行くことができるようにと信仰心のない形式的な祈りによって先を急いではならない。

 神は、あなたがこのお方に求めるならば、あなたの労働においてさえ、あなたのために多くのことをなすことがおできになる。このお方はご自分の御使を遣わしてあなたを事故から、破損から、そして命や財産の損失から守ることがおできになる。神が与えてこられた特権をなおざりにする人たちが、慰めや平安や喜びをなくしてしまった理由は、彼らが彼らの力の源であられる神と交わるために立ち止まらないからである。神はご自分の奉仕に対してこれほど無関心なところに、ご自分の聖霊を注ぐことが、あるいはわたしたちを祝福することがおできになるであろうか。このお方はわたしたちがご自分のご計画に協力しないのであれば、ご自分の豊かな祝福をわたしたちに与えてくださることがおできにならない。このお方は、「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊」ぶと仰せになる。

 ダニエルにとってそうであったように、わたしたちにとって日に三回祈ることはふさわしいことであり、また重要不可欠なことである。祈りは魂の命であり、霊的な成長の基礎である。あなたの家庭で、あなたの家族の前で、あなたの職人たちの前で、あなたはこの真理を証すべきである。そして、あなたが教会であなたの兄弟たちと会う特権に恵まれているのであれば、彼らに神と魂の間の交わりの水路を開いていることの必要性を語りなさい。もし彼らが祈るための心と声を見出すならば、神は彼らの祈りに対する答えを見出してくださると彼らに告げなさい。彼らに自分の宗教的義務を怠ってはならないと告げなさい。兄弟たちに祈るように説き勧めなさい。わたしたちは、もし見出したいのであれば、探さなくてはならない。受けたいのであれば求めなくてはならない。もしわたしたちが自分に対して戸を開いてほしいのならば、たたかなくてはならないのである。

 もし数人しか集まらないとしても、神の尊い約束を主張するのに十分である。御父、御子、そして聖天使たちは、あなたの信仰、あなたの堅固な原則を見ようとしてあなたのそばにおられる。そしてそこであなたは神の聖霊の注ぎを受けるのである。神はご自分の倉にすべての什一を携えいれるばかりでなく、ご自分の奉仕に時間、骨や脳や筋肉の力も注ぎこむ人々のために、豊かな祝福を蓄えておられる。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1890年2月10日)


この文章があり

朝の、ユナイテッドプレイヤー 

夜の母との祈り

に加えて、ロンクルーゼ牧師の勧告に従い、昼も祈りの時を持つようになりました

月曜日 姿勢

 「公的と私的の礼拝の両方において、われわれが神に嘆願するときには、神のみ前にひざまずくのが、われわれの特権である。われわれの模範であられるイエスは「ひざまずいて、祈って言われた」(ルカ22-41)。弟子たちについても、彼らは「ひざまずいて祈って」と記されている(使徒行伝9-40)。パウロは、われわれの主イエス・キリストの父なる神に「ひざをかがめ」ると言った。(エペソ3-14)。エズラはイスラエルの罪を神に告白したときに、ひざまずいた(エズラ記9-5参照)。ダニエルは「一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した」(ダニエル書6-10)。

 神に真の崇敬の念を抱くということは、神の無限の偉大さと神の臨在を自覚することによるのである。すべての者は見えない神に対して、こうした思いを心から抱かなければならない。祈りの時間と場所は神聖である。なぜならば、神がそこにおられるからである。そして、崇敬の念が態度とふるまいにあらわされるときに、その感じはさらに深まるのである。「その名は聖にして、おそれおおい」と詩編記者は言っている(詩編111-9)。そのみ名を語るとき、天使たちは彼らの顔をおおうのである。もしそうであるならば、堕落して罪深いわれわれは、どんな崇敬の念をもって、それを、われわれの口にしなければならないことであろう。 」             国と指導者 エルサレム神殿の建設


他の人に影響を及ぼす。

「神の愛を知る時、利己主義は捨てられる。神を父と呼ぶことによって、わたしたちは神のすべての子らをわたしたちの兄弟と認めるのである。わたしたちはみな、人類という大きな織物の一部であり、同じ家族の一員である。祈りのうちに、わたしたちは、自分たちのことだけでなく隣人をも含めるべきである。自分のための祝福だけを求める者は、正しい祈りをささげているとは言えない。」祝福の山 主の祈り

「彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。」ルカによる福音書1章15-16節


「母親の腕のなかにある赤ん坊てさえも、祈る母親の信仰によって全能者のかけにやとろのである。パフテスマのヨハネは、生まれた時から聖霊に満たされていた。もしわれわれが神と美じわろ生活をしているならば、われわれもまた、神のみた柔かわれわれの子供たちを、生れ落ちたときから、形づくってくださることを期待できるのである。」各時代の希望 第56章 子供たちを祝福される


なんと!本人は祈っていないのに、母親の祈りで 聖霊に満たされることが可能である。

私たちも祈る必要が絶対にある。

「聖霊は、隣人に与えるために命のパンを求めている人々みんなに臨む」~教会へのあかし・第6巻・90ページ~


自分にだけ・・・ではない。



火曜日 エノクさん


忙しくなればなるほど、祈る。

時間があれば 私は祈るのに という人に時間が与えられても祈らない。

長く祈りなさい、ではなく 多く祈りなさい

「創造主に、あなたの求めを申し上げなさい。砕けた心をもって、神に来るものは、だれ一人しりぞけられることはない。心からの祈りは、決して消えてしまうものではない。天の聖歌隊の賛美を受けておられる神は、弱々しい人間の叫びをも聞かれる。わたしたちが、へやの中で心の願いを申し上げたり、あるいは、道を歩きながら祈ったりすると、そのことばは宇宙の王のみ座にまで達する。それはだれの耳にも聞こえないであろうが、消え去ってしまったり、忙しい仕事に取りまぎれて、なくなったりしない。何も、人の心の願いを消し去ることはできない。祈りは街頭の騒音や群衆の混雑をこえて、天の宮廷へと上っていく。わたしたちが語りかけているのは、神である。そして、神は、わたしたちの祈りを聞かれるのである。」(キリストの実物教訓155)

心の中で祈ると気が散る(;^_^) 声を出した方が良い

これは良いかも


モーセさん

何故、イスラエルの民は直接神さまと交わろうとしなかったのか

それなら失敗し続けて当然!! 

われわれの義はキリストの内にの見いだされる。

神さまと交わらないで成功するはずがない。人間は罪しかできないのだから。

出エジプト記の民がどうして失敗し続けたか。それは神さまと直接交わっていなかったから。今週の大発見でした。


とりなしの祈り 

と言われると 至聖所でのイエス様のとりなしを思い出して、

自分には無理!おこがましい、高慢・・・となって祈らないともったいないことが起こる。

おこがましいと思う必要はない。祈りそれ自体には、何の取りえも功績もないから。あると思ったら祈れない。

「祈りは罪をあがなうものではない。祈りそれ自体には、何の取りえも功績もない。どのような美辞麗句を並べることができても、それは一つのきよい願いに比べることはできない。この上なく流ちょうな祈りも、心の本当の思いをあらわすものでなければ、むだなことばにすぎない。しかし信仰の祈りとは、真剣な心をもってささげる祈りのことである。それはちょうど、かなえてもらえるものと信じてこの世の友人に好意を求めるのと同様に、心のささやかな願いを申し上げることなのである。神は儀礼的な賛辞は求めておられない。だが自分が罪人であることと、まったく無力であることを悟って、砕かれ和らげられた心の叫びは、言葉にはあらわされなくても、憐れみあふれる父なる神のみもとに達するのである。」祝福の山 奉仕の真実の動機

誰でも祈ることができる。自分はダニエルさんのようじゃないし、エノクさんのようじゃないし、モーセさんのようでもないし と思う必要がない。

「神が私たちの祈りを聞き、それに答えるには淀の条件があります。まず第一に、私たちは、神の助けが必要なことを感じなければなりません。神は「わ たしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ」(イザヤ44:3)と約束しておいでになります、飢えかわくごとくに義を慕い、神を慕う者は必ず満たされるのです。聖霊の感化を受け入れることができるように心を開かなければ、神の祝福を受け入れることはできません。」キリストへの道 祈りの特権

条件は「必要」だから。


天沼教会、むつみ会でもあかししたが、「わたしに」自分に聖霊をお与えくださいと、祈るのではなく

「私たちに」が重要。「私たちの家族に、親戚に、職場、教会、三育学院に」と祈ることが重要、大きな変化が起こる。

「わたしに」はよさそうだけど利己心

「頭の髪の毛でさえ数えられる神は、子らの必要に無関心ではありません。「主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである」(ヤコブ5:11)とあります。愛に満ちた神のみ心は、私たちが悲しみを口にすることにさえ心をいためられます、心を煩わすことはなんでも神に申し上げましょう。神は諸世界を支え、全宇宙のすべてを支配しておられるのですから、神にとって大き過ぎて支えきれぬというものはないのです。私たちの平和に関わることであったならばどんなことでも、小さすぎてお気づきにならないということはありません。私たちのどんなに暗い経験も、暗すぎてお読みになれないということはありません。またどんなに難問題でも、神には解釈できないということはありません。神の子らのいと小さき者にふりかかる災いも、心を悩ます不安も喜びの声も、くちびるからほとばしる真剣な祈りも、天の父はことごとく注意し、深い関心を払っておられるのです「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」(詩篇147:3)。神と各々の魂との関係は、あたかも神がただそのひとりのために愛するみ子を与えられたように、はっきりとした完全なものです。」キリストへの道 祈りの特権

ただひとりのために と書いてある。

補足

モーセさんのとてつもない功績???は

モーセ5書を書いたこと。どれほど大きな祝福となった事だろう。

モーセさんは神様が過去になされたこと、そして現在なしてくださったことを忘れない人だった。私たちも覚えているべき。また思い出せない時は、思い出させてくださいと祈るべき、少なくとも安息日は記念、つまり思い出させてくださいの祈る日、そして語り、記録すべき。

3月31日 安息日学校母子室に 来週のあかしの原稿を送った時、

YOUTUBE動画の再生数は72万回でした。今日の時点で、106万回 34万回増えています。

わずか一か月あまりで増えている。記録しているといろいろなことが見えてきます

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