100日間の祈り 5日目 ユナイテッドプレイヤー 2026年5月7日
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。マタイによる福音書4章1~11節
イエスさまは御霊によって荒野に導かれた。
「イエスが試みられるために荒野へ導かれた時、彼は神のみたまによって導かれたのであった。イエスはご自分から試みを招かれなかった。イエスが荒野へ行かれたのは、1人になって、ご自分の使命と働きとを熟考するためであった。断食と祈りとによって、イエスはご自分がたどらねばならない血みどろの道のために、準備されるのであった。しかしサタンは、救い主が荒野へ行かれたことを知って、これこそイエスに近づく最上の時だと思った。」各時代の希望 第12章 試み
自分から行くものではない。
断食も自分からするのはどうか・・・体を壊すのは良くないと思う
「ヨハネの弟子たちはキリストの働きをはっきり理解していなかった。パリサイ人たちの非難には何か根拠があるかも知れないと、彼らは思った。彼らはラビたちが規定した規則の多くを守り、律法のわざによって義とされることを望んでさえいた。ユダヤ人は断食を功績の行為として実行し、彼らの中で最も厳格な者は毎週2日間断食した。ヨハネの弟子たちが、イエスのもとにやってきて、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」とたずねた時、彼らもパリサイ人たちも断食していた(マタイ9:14)。
イエスは非常にやさしく彼らにお答えになった。イエスは、断食について彼らのまちがった観念をなおそうとはされずご自分の使命について彼らが正しい見方をするようにされただけだった。しかもイエスは、バプテスマのヨハネ自身がイエスについてのあかしに用いたのと同じ譬を使ってこのことを説明された。ヨハネは「花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている」と言った(ヨハネ3:29)。イエスがこの例をとりあげて「あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか」と言われたとき、ヨハネの弟子たちは彼らの教師のことばを思い出さずにはいられなかった(ルカ5:34)。
天の大君がご自分の民の中におられた。神の最高の賜物が世に与えられていた。貧しい者に喜びあれ。キリストが彼らをみ国の世継ぎとするためにおいでになったからである。富める者に喜びあれ。キリストは永遠の富を手に入れる方法を彼らにお教えになるからである。無知な者に喜びあれ。キリストは彼らを救いについて賢明な者とされるからである。知識のある者に喜びあれ。キリストは彼らがこれまできわめたところよりももっと深い神秘を明らかにされるからである。世の基がおかれた時からかくされていた真理は、救い主の使命によって人々に開かれるのであった。
バプテスマのヨハネは救い主を見て喜んだ。天の大君と共に歩み、共に語る特権にあずかっていた弟子たちには何という大きな喜びの機会があったことだろう。いまは彼らが嘆いたり断食をしたりする時ではなかった。暗黒と死の影にすわっている人々に光を照すために、彼らは心を開いてキリストの栄光を受けねばならない。
キリストのみことばは明るい光景をえがき出したが、その向こうには濃い影が落ちていて、イエスの御目だけがそれを認めていた。「しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう」とイエスは言われた(ルカ5:35)。主が売り渡され、十字架につけられるのを見る時に、弟子たちは嘆き断食するであろう。あの二階の広間で弟子たちに語られた最後のことばの中に、イエスは、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろう……よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう」と言われた(ヨハネ16:19、20)。 各時代の希望 第28章 レビ・マタイ
祈りと瞑想のためか。祈り始めると悪魔からの攻撃を受ける。
イエス様が神さまの御子であるか、の質問にお答えにはならない。神さまがそう仰せになったから。私たちもその質問には答える必要がない。どんな証拠を示しても 悪魔は信じないから。
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
悪魔は常に、人を自分から 自由意志で、不幸に行かせようとする。どんな理由があっても、悪魔のそそのかしには乗らない。悪魔は常に、人が自分から不幸な道を選ぶように祈らせたり、行こうとさせる。
人間は結構、これをやらせられている。
「われわれは、真理、すなわち救いの真理を、暗黒の中にいる飢えた人々に与えなければならない。わたしは、多くの人々が、神に、謙遜にしてくださるようにと祈っているのを見た。しかし、もし神が彼らの祈りに答えられるとするならば、恐るべきわざにより、義のうちに答えられるのである。へりくだることは、彼らの義務であった。もし、自己称揚がはいっていることを許すならば、魂は、必ず道に迷い、それに勝利するのでなければ、彼らは破滅に陥ることを、わたしは見た。人が、高ぶった思いをもって、自分には何かできることがると思うようになると、神の霊は取り去られる。そして、彼は、自分自身の力によって進んで行って、ついに倒れてしまうのである。わたしは、ひとりの正しい聖徒があれば、神の腕を動かすことができることを見た。しかし、もし間違っているならば、どんなに数は多くても、彼らは弱々しく、何もなしとげることができない。」初代文集 未経験な人々へ
他にも「私を砕いてください」「私を焼き尽くしてください」「艱難辛苦を与えたまえ」「苦しみをお与えください」「来たれ、来たれ、苦しみ」「火をもて、清めよ」
結構、祈っている人が多い。
聖霊の神さまの御恵みによって意識的に悪魔の戦術、策略を見破る必要がある。
「神は服従の道を歩む都誰でも守って下さ列その道から離れることはあえてサタンの側にはいって 行くことである。そこではわれわれは必ずつまずいてしまうのである。救い主は、「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」とお命じになった(マルコ14:38)。瞑想と祈りとは、われわれが自分から危険の道にとびこまないようにする。こうしてわれわれは多くの敗北から救われるのである。」各時代の希望 第13章 勝利
本当に悪魔は汚い!悪魔は滅ぼされて当然
最後は もし神の子ならば の誘惑がない。
「同じように、われわれも誘惑に抵抗し、サタンに離れ去れと強く言うことができる。イエスは、神への服従と信仰とによって勝利を得られた。彼は使徒を通して、われわれにこう言っておられる。「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださるであろう」(ヤコブ4:7、8)。われわれは自分自身を誘惑者サタンの力から救うことはできない。サタンは人類を征服したのである。自分自身の力で立とうとする時、われわれはサタンの策略に陥るであろう。だが「主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る」(箴言18:10)。どんなに弱い魂も、この大いなるみ名をかくれ家とするとき、サタンはふるえあがってその前から逃げ出す」各時代の希望 第13章 勝利
悪魔を震え上がらせることがとても重要。
「サタンは、彼の強力な競争相手に人が哀願することに耐えられません。なぜなら、その方の力と威光の前では、彼は恐怖で震えてしまうからです。熱心な祈りの声を聞くと、サタンの全軍は身震いします」教会への証 第1巻
「これからは、キリストに従う者たちは、サタンを征服された敵としてみるのであった。十字架上で、キリストは、彼らのために勝利を獲得されるのであった。その勝利を、彼らが自分自身のものとして受け入れるように、イエスは望まれた。「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう」とイエスは言われた(ルカ10:19)。」各時代の希望 第53章 ガリラヤからの最後の旅
われわれも イエス様の十字架によって、悪魔を征服された敵と見る。イエスさまもイエス様の勝利を自分のものとして受け入れることをお望みになっておられる。
「サタンの力について、あまりにも過大に考えたり、話したりするクリスチャンがいる。彼らは、敵について考え、敵について祈り、敵について語るので、敵は彼らの想像の中にだんだん大きく現われてくる。なるほどサタンは強力な存在である。だがありがたいことに、われわれには、その悪者を天から追い出された力の強い救い主がいる。サタンは、われわれが彼の力を拡大する時によろこぶ。イエスについて語ろうではないか。イエスの力と愛とを拡大しようではないか。」各時代の希望 第53章 ガリラヤからの最後の旅
勝利されたイエス様について「語る」ことが重要
それが、イエス様の御力について、イエス様の愛とを拡大することになる
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