キリストと共に生きる 2026年安息日ガイド 第1期 天と地をひとつに 11課
天のことばかり心に留めると 地上で何の役にも立たなくなる???
1億円の証書
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天使のささやき
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石油王
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天に心を留める とは何か??
「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。」
自分だと天というと・・・
救いの計画
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ぶどう園のたとえ
そこでイエスは次の譬を民衆に語り出された、「ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た。季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を出させようとした。ところが、農夫たちは、その僕を袋だたきにし、から手で帰らせた。そこで彼はもうひとりの僕を送った。彼らはその僕も袋だたきにし、侮辱を加えて、から手で帰らせた。そこで更に三人目の者を送ったが、彼らはこの者も、傷を負わせて追い出した。ぶどう園の主人は言った、『どうしようか。そうだ、わたしの愛子をつかわそう。これなら、たぶん敬ってくれるだろう』。ところが、農夫たちは彼を見ると、『あれはあと取りだ。あれを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と互に話し合い、 彼をぶどう園の外に追い出して殺した。そのさい、ぶどう園の主人は、彼らをどうするだろうか。彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」。人々はこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。いまの譬が自分たちに当てて語られたのだと、悟ったからである。」ルカによる福音書
普通なら 袋だだきにされた、警察へ訴える。しかし、この方は何度も何度も僕たちをお遣わしになられる。愛子が殺されていても 使徒をお遣わしになされる。
驚き以外ない。
これが天、これが天の愛・・・
「人間の堕落は、全天を悲しみで満たした。神に造られた世界は、罪ののろいでそこなわれ、不幸と死に運命づけられたものの住むところとなった。律法を犯した者には、のがれの道がないように思われた。天使は、賛美の歌をやめた。天の宮廷には、罪がひき起こした破滅を嘆く声が満ちた。」人類のあけぼの
ここに、人間を責めている人が一人もいないことに、怒っている人、裁いている人、批評している人が一人もいないことに、驚愕する。
たった一人の罪が 全天を悲しみで満たすことに驚愕する。
そんな人のことはどうでもいいよ、と思わないで 賛美の歌をやめ、嘆く声が満ちたことに驚愕する
100匹のうち1匹が迷子になった譬
10枚の銀貨の譬
放蕩息子の譬
いずれにせよ。喜びようが半端ない事に驚愕する。
ああ、よかったね、面倒かけたね。やれやれ見つかったか、ようやく反省したか、なんてことはない。助かってよかった。見つかってよかった。よくぞ戻ってきた。よくぞ生きていたという喜びがいっぱいになる。これが・・・天なのか・・・これが天の愛のなのか・・・
「天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。ルカによる福音書
天国で一度も罪を犯したことのない完全な人々は、は罪でボロボロの人々が天国に帰ってくるとき、「この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。という人は一人もいない。
お前たちは罪を犯したじゃないか、という人々も一人もいない。みんなが歓喜の内に「良かった」「良かった」「よくやった。よくやった」と大喜びして迎え、抱きしめ、歓喜する。
そこには罪がない!
そんな人々が天にいることを知っただけでも、もう死んでもよいと思った。天の思い、天はなんと清らかで、あたたかい場所なのだろう。
こんな人々になりたい!と思った
あれ?なんで泣いているのだろう。
この聖書を読んで、感動しない人々は、ずるい! 神さまは不公平だと思う人々は、たった一つ、自分が朝からぶどう園に来ていると思っている人々、つまり自分を義として、他人を見下している人々だけかもしれない。
しかし、その人々よりずっと前から働いている天国の人々は、大喜びで神さまを賛美する。これが天国。
「キリストがお呼びになったのは無頼漢、取税人、罪人、世人に軽蔑されている人であって、キリストのやさしい同情がこうした人々にご自身を引きつけたのである。キリストがお認めにならなかった階級とは、うぬぼれて他人を見下げていた人々であった。」
~ミニストリーオブヒーリング 誘惑された者を助ける~
キリストの優しい同情か・・・
「天使たちは一番必要とされている所 にいつもいて、自我と最も激しい争い をしている人や、最も失望的な環境に ある人の側でいつも働いている。多く のよくない性格をもった弱い臆病な人 々にも天使たちの特別な保護がある。 利己的な人がはずかしい仕事と思うような事、すなわちあらゆる方面に劣っ た素質をもつ不幸な人々に仕えること が…天使たちの働きである」(ミニスト リー・オブ・ヒーリング 1905 p76)。
わ~と驚きます
天の評価も驚きです
「品性を評価するにあたって、神と人との標準は、なんと大きな相違があることであろう。世の中や親しい友人さえも知らない、家庭内や心のなかの誘惑、数々の誘惑に打ち勝ったことなどを神はごらんになる。自己の弱さを知ってけんそんにしていること、一つの悪い思いでさえ、心から悔い改めることなどを、神はごらんになる。また、神は、ご用のために心から奉仕する人をごらんになる。自己との激しい戦い、そして遂に、その戦いに勝利したことなども注目なさるのである。これらのすべてを、神が知っておられ天使も知っている。主をおそれ、主の名をおぼえる者のために、主の前に記憶の書がかかれている。
学識があるとか、地位があるとか、または、人の数とか、才能の数とか、人間の意志の力とかに、成功の秘訣があるのではない。わたしたちは、自分の無力を感じて、キリストをめい想すべきである。そうするならば、すべての力の力であり、すべての思いの思いであるキリストの助けによって、喜んで従っていく人びとは、勝利から勝利へと進むのである。」~豊かな人生の秘訣~ 恵みの報い
「そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕 える人でなければならない。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ23:11、12)。真の偉大さは道徳的な価値によってはかられるということを、キリストは、これまで繰り返し繰り返し教えられた。天の評価によれば、品性の偉大さは人類同胞の幸福のために生きること、すなわち愛と憐れみのわざをなすことにある。栄光の王キリストは堕落した人類のしもべであられた。」各時代の希望 第67章 「パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」
天のことに心を留める。驚きと感動の連続です。
聖霊の影響を受けていない自然の心には、理解できないことが多くあります。
ということは、聖霊の神さまの影響を受ければ理解できる。
霊的な命が常に新たにされる必要がある。
「イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」ヨハネによる福音書
3. 義認は何もしなくても今すぐ与え られる、それはいつでも与えられる。
「人間は信仰によって、つまり神の言 葉に頼る事によって義と造り変えられ るだけでなく、造り変えられたのと同じ 方法で生き続けるのであり、…同じ経 験を重ねるのです」(ATJ RH 1899 3/7)。 「神の御言葉、義の言葉、生命の言葉 が“今”、“この場で”与えられています。 あなたは今、義に造り変えられる事を 望みますか?今、その御言葉によって 生きようとなさいますか?これこそ信仰 による義認です。…世界で最も単純な 事です」(ATJ RH 1896 11/10)。 「神は信じる者の上に義を宣言され ます。宣言するというのは言葉を出す 事です。…そして『あなたは義人だ』と 言われた瞬間、それを信じる罪人は罪 人でなくなり、神の義となるのです。義 を宣言する神の言葉自体が義であり、 罪人が信仰によってその御言葉を自 分の心に受け入れるや否や、その瞬 間から彼は心の内に神の義を持ち、心の状態は生活に現れますから、新しい 神の律法に従う人生が始まるのです」 (EJW GC p26-28)。
地上的なものをやめる
新たにされる知識
「新しい人」「古き人」
「世にはキリストのゆるしの愛を知り、本当に神の子になりたいと望んでいながら、自分の性格が不完全で、生活にはあやまちが多いために、いったい自分の心が聖霊によって新たにされたかどうかと疑う人があります。こうした場合に決して失望、落胆してはなりません。私たちは幾たびとなく、欠点やあやまちを悔いてイエスの足もとに泣き伏すことでしょう。けれども、そのために失望してはなりません。たとえ敵に敗れても、神に捨てられ拒まれたのではありません。キリストは神の右に座し、私たちのために執り成しておられます。使徒ヨハネは「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(Ⅰヨハネ2:1)と言いました。また「父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである」(ヨハネ16:27)というキリストのみ言葉も忘れてはなりません、神は、あなたを自己に立ち返らせ、自らの純潔と聖潔とをあなたのうちに反映しようと望んでおいでになります。ただ神に従いさえすれば、すでにあなたのうちに良きことを始められた神は、イエス・キリストの日までその働きを続けてくださるのです。ですから、もっと熱心に祈り、もっと深く信じましょう。自分の力に信頼できなくなったとき、あがない主の力を信じ、私たちを 助けてくださる主を賛美しましょう。
キリストへの道 弟子としての証拠
その時は 失望、落胆する時ではない。熱心に祈り、深く信じ、主を賛美する時である
賛美する時???
劇的で決定的な変化
新しい命の特徴
「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者である」
え??わたしが聖なる者???
さすがにそれは違うでしょう・・・と思っても間違いではない。
「またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」。その後、わたしが見ていると、天にある、あかしの幕屋の聖所が開かれ、」 ヨハネの黙示録15章2~5節
神さまだけが 聖なるかた と言っています。
しかし、神さまが、「あなたの信仰があなたを救った」と仰せになられる。え?イエス様が全部救ってくださったのに???と思っても イエスさまは 「あなたの信仰が、あなたを救った」と仰せになられる。
「良い忠実な僕よ、よくやった」 え?全部、イエス様の十字架の功績です・・・
神さまが仰せになられることと、自分で思うことは違って当然です。
自分で自分を 「私は神に選ばれた者」なんて思ったら う~ん
「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」
責むべきことがなくなるわけではない。ではどうしたらよいのだろう。
苦い思いに対する勝利
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2022/11/241888-20221103-40.html
新しい生活を送る
「あれもやらなければならない、これもなっていない。あれもやらなければならない」
やらねば・・・と必死でした
その時、集会で人の話を聞くということ、心を折るということを教わったのでした
心がやわらげられ、固くなっていた体がほぐれるのを実感しました
「やらねば・・・」という心が「やっていきたい!」との心に、変わったのです
聖書の御言葉も「なんだ、すべて人間の幸せのために書いてあるじゃないか」次々に気づきはじめました
「自我とたたかっていないだろう・・・神様を信じていないだろう」との言葉が心に入りました。
人に仕えるということが、実は人の幸せであることに気付いたのです
「神様が怖い」との心が「神様は愛である」との心に変えられたのです
「義務が喜びになる」「戒めが喜びとなる」
目に見える色のトーンさえも鮮やかに変わったかのようでした
「あれこのパソコンこんな色だったけ???」
ある人の表現を借りれば、モノトーンからカラーへ・・・
神様も、自然も以前とはまったく変わっていないのに・・・
すべてが変わる・・・
人間をお造りになられた神様だけが、人の心を再創造する御力を持っておられます
音楽の力
歌は武器
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イエスは歌を通して天と交わられた
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イエスさまが歌をお用いになられた。われわれも使うべき
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