キリストにのみ頼る 2026年第一期 天と地を一つに 第6課
わたしたちは、信仰による義のメッセージを全世界に伝える使命がある。
第三天使のメッセージと呼ばれるほど、重要なメッセージ
それは獣の刻印と対比されている。獣の刻印をも押されている人々は昼も夜も休みを得られない。
では、どうしてそれほど重要なのか。
信仰か?行いか?と議論されることが多い。ガイドでも冒頭から「自分の行いが救いの足しなるかのように」と書いてあり、信仰か、行いか、になっている。
しかし、まず第一に 十戒 一般に律法と呼ばれることもあるが、十戒を否定するあらゆる宗教、教え、神学、教師、牧師、神父、司教、祭司は偽物
非難しているわけではなく 否定すると 「殺してもよい」「姦淫してもよい」「盗んでもよい」「偶像を拝んでもよい」「親を虐待してもよい」「ほかに神々をおいてもよい」「安息日はどの日でもよい」「安息日は守る必要はない」「うそをついてもよい」になる。
しかし、実際にこれを教えている教えがかなり多い。
教育界でも「どうして人を殺したら罪なのですか」「どうして盗んだら罪なのですか」との答えをこたえられない教師がけっこういる。法学部のゼミでも「どうして売春が罪なのですか」と教授に聞いた女子大生がいた。
宗教界でも同じ。
ニュースにもなったロシア正教キルリ司教
「一方で、ある人が職務を果たす義務感に突き動かされているのであれば、その人は天命に従い義務を全うすると述べ、「もし義務の遂行中に命を落とした場合、間違いなく犠牲に等しい行為になる。他人のために我が身を犠牲にしているのだ。こうした犠牲により全ての罪が洗い流されるものと確信している」
https://www.cnn.co.jp/world/35193818.html
他にも、
「彼らは、会の会員として活動する時は聖衣をまとい、牢獄や病院を訪ねて病人や貧者に奉仕し、世俗を捨てたことを公言し、よい働きをしながら巡回されたイエスの清い名を帯びていた。しかし、この潔白な外観のかげに、しばしば、極悪非道な目的が隠されていた。目的は手段を正当化するというのが、会の基本原則であった。この規定によって、虚偽、盗み、偽証、暗殺などは、教会のために役立つならば許されるだけでなく、賞賛すべきものであった。さまざまな偽装のもとに、イエズス会の会員たちは、国政にまで手を伸ばし、国王の顧問の地位について、国家の政策をまとめた。」各時代の大争闘
イエス様を信じるだけで、律法は守る必要がない。
などなど
なので十戒、 天地が滅び行くまでは 一点 一画も落ちない
セブンスデーアドベンチストは名前を変えてはいけない。なぜなら、他の戒めは ある程度社会規範になるが、安息日だけは 聖書、神さまの御言葉以外に理由がない。神さまの印、神さまの権威よってにのみに基づいている。
多くの社会、宗教、学校、教育の中にいて、十戒がない世界へ そこで苦しんでいる人々に、絶対に必要。
だまされて、戦争に行って人殺しをしたり、うそをついて壺を売り歩いたり、神さまに示されたと言って姦淫されたり、殴られたり、修行させられたり、罪の清めを称して、怒鳴り散らされたり、神さまのためにはうそをついてよいとだまされたり、自分は神だ、自分はキリストだ、自分はキリストと同じだ、キリストと同じように自分を信じなさい、自分は神の子の代表者である、と言われてだまされ続けている人々がたくさんいる、 その人々に、光をともしていなければならない。
その中にいる人々は恐怖の支配、うその支配なので、聖書の教えではなく、まったくの人の教え、思い込みなので、神さまの、イエス様の、聖霊の神さまの印がない。なので昼も夜も休みが得られない。
ところがここで大変大きな間違いがある。それが
「ここに、神の子ら——特に神の恵みに頼り始めた者が誤りがちなことが2つあります。これは特別に注意しなければならない事柄です。まず第一に、前にも述べたように自分の行為をながめ、自分の力を頼みとして神と調和しようとすることです。自分の行為によっておきてを守り清くなろうとしている人は、不可能なことをしようとしているのです。人がキリストなしにすることはすべて利己心と罪に汚れています。信仰によるキリストの恵みのみが私たちを清めるのです。
それとは反対ですが、同じように危険なことは、キリストを信じれば人は神のおきてを守らなくてもよいという考えです。つまり、ただ信仰によってキリストの恵みにあずかるようになったのであるから、行いは私たちの救いと全く関係がないというのです。 」キリストへの道
問題は行いか、信仰かではなく どのようにそれがなされるか。
「ガラテヤ人への手紙の中には、律法を守るべきかどうかというような疑問はまったくないということを頭にとどめておきましょう。唯一の質問は、どのようにしてそれがなされるか、です。わたしたち自身の行いによるべきか、そうであるなら報いは恵みではなく義理でしょうか。それともわたしたちに神の喜ばれることをしようという思いを起こし、それを行うために、神が働かれることなのでしょうか」 EJワゴナー よきおとずれ ガラテヤ4章 より
神さまが働かれることが最も重要・・・
「光あれ」と神さまが仰せになられたら、光があった。
その神さまの再創造のお力によって造り変えられることが全部。
しかも、それは、今、この瞬間で起こる。
「神の御言葉、義の言葉、生命の言葉が ”今”、”この場で”与えられています。あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。・・・世界で最も単純な事です。」ATジョーンズ
「人間は信仰によって、つまり神の言 葉に頼る事によって義と造り変えられ るだけでなく、造り変えられたのと同じ 方法で生き続けるのであり、…同じ経 験を重ねるのです」(ATJ RH 1899 3/7)。
一回で終わりではなく、造り変えられ続けることが重要。どこに地点にいるかは重要ではない。
信じれば救わる?
「また、この福音が必ずしも救いの確証と平安を与えるわけでもない。信者が救いの根拠として自分の信仰に目を向けている以上、「私は本当に信じているだろうか」「あの時の悔い改めは本物だっただろうか」「私の信仰は十分だろうか」等という恐れはいくらでも起こり得る。」今、何故SDAか より
「自分の信仰」に頼っていると上記のように昼も夜も休みが得られない。
「それだから、自分の信仰は弱いと言って、言い訳をする余地はだれにもありません。賜物を受けいれずに役立てていない人はいるかもしれませんが、「弱い信仰」などというものはありません。ある人は「信仰にあって弱い」かもしれません。それは信仰に依存することを恐れているのであって、信仰自体は神のみ言葉と同じくらい力強いものなのです。キリストの信仰のほかに、信仰はありません。それ以外に信仰と言われているものは、皆まがいものです。キリストだけが義です。」1888年のメッセージ EJワゴナー よきおとずれ キリストを信じる信仰による命 https://small-light-testimonies.blogspot.com/2022/10/2.html
自分の信仰、親の信仰でははく「キリストに信仰」によって義とされる。
「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰(英語 KJVではthe faith of Jesus Christ=キリスト・イエスの信仰)によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰(英語 KJVではthe faith of Chris=イエスの信仰)によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。」ガラテヤ人への手紙2章16節
とすると、
「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスの信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストの信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。」
「キリストは神によって生活なさいました (ヨハネ 6:57)。 世におられた彼に、神がお与えになった信仰は、彼が死なれるとき三日目によみがえるべきことを、確固として繰返し言われたことに示されているような性質のものでした。 この信仰にあって、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と言って彼は死なれました (ルカ 23:46)。」
1888年のメッセージ EJワゴナー よきおとずれ キリストを信じる信仰による命
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2022/10/2.html
「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。黙示録第14章
ここの「イエスを信じる信仰」は「イエスの信仰」さきほどのガラテヤ人への手紙2章と同じ。
イエスさまの信仰 ここに永遠の命があり、動かない岩がある。これがでないと
変わりやすい自分の心を土台とした信仰は移りやすく、砂の上の信仰。昼も夜も休みが得られない。
「その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。」黙示録14章
これが第三天使のメッセージ 全世界に告げ広められなければならないメッセージ
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