キリストの卓越性 2026年第1期 第8課
イエス様の卓越性、イエス様がそこにおられると つまらない柴のやぶでも、第一神殿より遥かに劣る第二神殿でも、ロバも、馬小屋も、何の良いものが出ようかというナザレでも、されこうべと呼ばれた死刑場のゴルゴタの丘も、神聖な場所になる。私たちの過ぎていく毎日も、私たちの心でも、病床でもイエス様が共におられると神聖なものとなる。イエス様の卓越性 本当にすごいものです。 逆にイエス様がおられないと、どんな豪華な家、名誉、権威、財産であっても、天においては無価値・・・イエス様の卓越性 すごいものです
「更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。」
暗唱聖句は
「神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝する」ためのもの。
なのでここを読んで強くされ、喜んで、感謝しないと何かが間違っている。
イエス様が共におられることの特権 大きさがとても大切
罪を赦しをすでに受けている、と書いてある。なので、私は赦されていない、とか思っているのは大きな間違いであるということが書いてある。だから他の人はともかく、わたしは許されていないかもと思うのは大きな間違い。「自分を」位も主権も、支配も権威、これらいっさいのものよりも高めていることになる。
人は自分を大切にしない。いてもいなくても良いと思っている。
特に自分が罪深いと感じている時はなおさら。
かつては、自分も真っ暗、周りの真っ暗、世の中真っ暗と思っていた。
ここに卓越したイエス様がおいでになられた。そう書いてある。
小学生が職場に来た時、皆さんはこの3000万円の超音波診断装置よりもはるかに大切です、と説明したら 感想で「うそだ~僕は、もっと安いよ」とあった。
もちろん、あなたはそれよりもはるかに高価。
「神の民が自分自身を低く評価するときに神は失望される。神はご自分の選民が、彼らの上に神がおかれた価値にしたがって自らを評価するように望まれる。神が彼らを所望されたのである、そうでなければ、神は彼らをあがなうために、ご自分のみ子をあのように高価な使命におつかわしにはならなかったのである。神は彼らに用があるのであって、彼らが神のみ名の栄えをあらわすために、神に最高の要求をするときに神はよろこばれる。神の約束に対して信仰を持つときに、大きなことを期待できるのである。
しかしキリストのみ名によって祈ることには多くの意味がある。それはわれわれがキリストの品性を受け入れ、キリストの精神をあらわし、キリストのみわざをなすことを意味する。救い主の約束は条件つきで与えられている。主は、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」と主は言われる(ヨハネ14:15)。主は人を罪のうちにあって救われるのではなく、罪から救われるのである。」
各時代の希望 第73章 「あなたがたは心を騒がせないがよい」」各時代の希望
神の民はイエス様が共にいらしてくださるというたったひとつの理由のために、最高の要求をすべき、 なんと!そうする時に神さまは喜ばれる、と書いてある
だいたい人は、自分を大切にしない。しかも宇宙で最も卓越されたイエス様があなたと共におられる。あなたのために食べ物、衣服、仕事、時間、教会 権威、をお与えになられてる。しかし人はそれらをも大切にしない。
権威、というと嫌われるが、権威がなければ健康保険はない。仕事というと嫌われるが、引退して、何もすることがなくなった方々が、「あの時が幸せだった」という。
健康保険、給料、命、家族、
それに感謝しないで生きていることが多い。あるいは文句ばかり言って生きていることが多い。「人間は死ぬ頃になってはじめて、真に生き始めるようなもの。」
それを今、イエスさの卓越性によって生きれるようにしてくださる。
人生が変わる。イエス様の御臨在によって変わる。
「時の貴重なことは、実に想像以上である。キリストは、1分1秒を貴重なものとみなされたが、わたしたちもそう思わなければならない。人の一生は、むだにすごすには、あまりにも短い。永遠のために備えをすべき恵みの日は、ほんのわずかしかない。浪費したり、自己の快楽のために用いたり、罪にふけったりする時間はない。将来の永遠の命のために品性を形成するのは、今である。厳密な審判の時の備えをするのは、今である。
人類家族は、死ぬころになってはじめて、真に生き始めるようなものである。もし永遠の命に関する真の知識を得るのでないならば、この世の絶え間なき労苦も無に終わってしまう。」
キリストの実物教訓
見えない神の姿
しかし、こう書いてある。
「彼らとキリストとの結合は、今や、主が人間の姿をとられて彼らと共におられた時よりも、もっと強かった。内住すろキリストの光と愛と力は、弟子たちから輝き出て、それを見る人々の目を見張らせた。」
御子を長子、頭
私たちはなんと!王女、王子である。しかし、この地上の王子や王女のような悲惨なものではない。
神さまの子供、である。
わたしたちはイエス様の体である。
天使たちも学ぶ。なんと!!私たちは天使たちも高い者とされる。
もちろん、天の評価による高い者、
イエスさまは教会のかしら え~うちの教会が??と思いがちだか こう書いてある。
「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか」とキリストは言われた(マルコ4:30)。キリストはこの世の国を用いて神の国をあらわすことはできなかった。神の国に匹敵するものを、社会の中に見つけることはできなかった。地上の王国は、優勢な権力によって治めるが、キリストの国では、武器や抑圧の道具がことごとく消し去られている。神の国は人間を高め、高貴にする。神の教会はさまざまな賜物に満ち、聖霊を受けてきよい生涯を送るものの宮廷である。教会員たちは、自分たちが助け祝福するものの幸福の中に、自分たちの幸福を見つけるのである。 艱難から栄光へ 第1章 人類救済への神の計画
なので、受ける人々にとってではなく、周りの人を助ける人々、他人の幸福の中に自分たちの幸福を見つける人々には教会は宮廷になる。
コメント
コメントを投稿