真のヨシュア 安息日学校ガイド 2025年第4期 第10課
安息日学校は 日曜学校と同じく、礼拝には来づらい方々が気軽に来れる所、伝道の場所なので、安息日学校ガイドは「難しいな。よくわからないな」と悩んで学ぶ時間ではない。
むしろ安息日学校は伝道の心臓部、多くの人々を招く場所。海外では礼拝動画よりも多く視聴されている。
安息日学校ガイドは聖書に親しむ、何よりイエス様について学ぶ時間。実は聖書もイエス様について学ぶ書物。すべてがイエス様をあかししている。
ちょっと難しい神学用語「予型論」との言葉が用いられているが、要するにヨシュア記からも「イエス様を知ること」が今回の「真のヨシュア」のテーマ
なので難しく考えないで、祈ること、つまり生けるイエス様を知る、体験する事が重要
これが安息日学校の一番の目的
「一見、聖書には、難しく、不明瞭なことが多いのですが、神は、それを理解しようと求める人々には、わかりやすく単純にしてくださいます。けれども、聖霊の導きがなければ、聖書の意味を曲解したり、誤解したりする危険があります。聖書を読んでも何の益も受けず、かえってそれによって大きな害をこうむっている人々もあります。敬虔な心と祈りがなくて神のみ言葉を開いたり、思いと愛情が神に向いていなかったり、または、神のみ心に調和しないでいると、心は疑惑の雲でおおわれ聖書研究をしていながら、懐疑心が強められるのです。敵が思想を支配して正しくない解釈を暗示します。人が言葉にも行いにも神と一致しようと求めていなければ、いくら教育ある人であっても聖書の解釈を誤りやすくなりますから、彼らの解釈をあてにしては危険です。矛盾を見いだそうと思って聖書を探る人は、霊の目がまだ開かれていない人です偏見をもって見るので、実はわかりやすく単純な事柄でも何かと理屈を言って疑い、信じようとしないのです。 」キリストへの道
1,アカンーアナニヤとサッピラ 似ている
2,約束の地の分割ー天国の家
「そこでわたしは、実に輝かしい家々を見た。それらは銀のように見え、美しい真珠をちりばめた4本の柱に支えられていた。これには聖徒たちが住むのであった。どの家にも黄金の棚があった。多くの聖徒たちが家の中に入って行って、光輝く冠を脱いで棚の上に置き、それから、家のそばにある畑へ出て行って土を扱うのをわたしは見た。それは、地上のわれわれがしなければならないこととは、全く違っていた。輝く光が彼らの頭の周りを照らし、彼らは絶えず声をあげて、神を賛美していた。」 初代文集
ヨシュア記も天国も だれも文句を言う人がいない
3,ヨシュア記ー天国
「イスラエルはヨシュアの世にある日の間、また主がイスラエルのために行われたもろもろのことを知っていて、ヨシュアのあとに生き残った長老たちが世にある日の間、つねに主に仕えた。」ヨシュア記24章31節
天国では反逆する人がいない。
われわれは今、天国にいるだろうか。
〇余談
「イスラエルの人々が、エジプトから携え上ったヨセフの骨は、むかしヤコブが銀百枚で、シケムの父ハモルの子らから買い取ったシケムのうちの地所の一部に葬られた。これはヨセフの子孫の嗣業となった。」ヨシュア記24章32節
ヨセフさんの骨は、紅海 シナイ山、荒野 ヨルダン エリコ などを経てずっとイスラエルと共にいた。人々は大切に運んだ。
「モーセはキリストの型であった。」人類のあけぼの
「ヨセフの生涯はキリストの生涯を代表している。」人類のあけぼの
4,現代 ヨシュアとカレブ ジョーンズとワゴナー
「1892 年にホワイト夫人は、も し教会が 1888 年のメッセージを受け入 れていたなら今頃は天国にいたであろ うと書き、1893 年には教会が神の勧告 を聞かず、天の燭台が彼らを照らさな くなる時、彼らは自分でともした明り に歩むだろう、と預言めいた言葉を残 された(RH 1893 4 月)。」
「先入観をなかなか 棄てず、この真理を受け入れまいとす る彼等(指導者達)の強情心がワゴナ 一、ジョーンズ両兄弟を通しミネアポ リスで与えられた主のメッセージに反 抗させたのである。敵対心をあおる事 によってサタンは神がその民に与えよ うと望んでおられる聖霊の特別な力 を締め出してしまった。ペンテコステ の使徒達がしたように、彼等も真理を 世界中に伝える事が出来たのだが、そ れを可能にする力を敵は阻んだ。世界 中を栄光で照らす光は拒まれ、我々の 兄弟達の行動によって締め出された」 (1SM 234,235)。 1897
「世に対する憐れみのメッセージを伝 える事によって神の御計画が実行され ていたなら、キリストは地球に来られ、 既に聖徒は神の都に迎え入れられた だろう(オーストラリア部会記録 1898 10/5)。
「我々はイスラエルの子らが 経 験し たように不服従の為に、これから長い 年月の間、この世にとどまらねばなら ないかも知れない。しかし神の民は自分達のあやまちが招いた結果を神の 責任にする事によって更に罪を重ねて はならない」(P.T.マギャーンヘの手紙 M-184,1901)。
5,律法主義と信仰による義?と解釈する人もいる
荒野の旅 律法主義 だからあれだけ人々は反抗し、失敗した?
ヨシュア記 信仰による義 ヨシュア イエス様の型 イエス様と一緒だから成功した?
「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。」ヨシュア記第1章8節
ヨシュアーイエスさまがいらしても律法は変わらない。律法主義と律法は違う。
律法主義は自分の行いで自分を救おうとする、つまり利己主義、そもそも律法を守ってない。
しかし、
「兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。」コリント人への第一の手紙第10章
とするならばモーセさんの民もイエス様は共にいらしたことになる。
モーセさんの時代 荒野の旅も全部が悪い人々ではなかった
「イスラエル人がエジプトから約束の地へ行く道中、彼らの中の真心をもった人々は、周囲の国々の光であった。彼らを通して神は世にあらわされた。」祝福の山
私たちにはさらに、聖書という彼らが持っていない宝物がある。
「人々に教えを与える聖霊は、神のことばの中に宿っている。新しい、尊い光がみことばの各ページから輝き出ている。みことばの中に、真理があらわされている。どのことば、どの文章をとってみても、それが魂に呼びかける神の声のように輝かしく、折にかなったふさわしいものになるのである。
聖霊は、青年に語りかけることを愛しておられて、神のことばの宝と美とを、彼らが発見することを望んでおられるのである。大教師の語られた約束は、彼らの心をしっかりと捕え、彼らの魂を霊的力によって活気づける。人々は、豊かに実を結び、神に関する知識をさらに深めていき、誘惑に対しても防壁を持つようになる。
真理のことばは、ますますその重大性を増し、これまで夢想さえしなかった意味深さを持ったものとなる。みことばの美と富とは、人の心と品性を変える力を持っている。天からの愛の光は、霊感となって人々の心の上に注がれる。
聖書は、研究するにつれてますます理解が深まるものである。聖書のどこを開いて見ても、そこに、神の無限の知恵と愛とがあらわされているのを見いだすのである。」 キリストの実物教訓 人を生かす力」
どこを開いて見ても つまり、出エジプト記 レビ記 民数記 ヨシュア記でも
魂によびかける神の御声、活気づける、美と富、神の無限の知恵と愛を見つけること。つまりイエス様の型を見つけることが重要。
安息日学校で見つけるのは、これ! う~ん 難しいな、と悩むことではない。
なので難しそうなことを祈りをもって学ぶと、「神は、それを理解しようと求める人々には、わかりやすく単純にしてくださいます。」
人生には難しい事、難解なことがたくさんある。毎週、この聖書の与える訓練を受けていると、実生活でも、神さまがそれをわかりやすく単純にしてくださることを体験できる準備になる。
聖書は実生活の型である。聖書はこのように正しく研究する必要がある。
「聖書の研究ほど知力を強めるのに適切なものはありません。どんな書籍でも、聖書の広範、高尚な真理ほど、人の思想を高め才能を強めるものはありません。もし、神のみ言葉を正しく研究するならば、人は広い知力と、高尚な品性、確固たる目的を持つことができますが、今日そうした人は非常にまれです。 」キリストへの道
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