安息日学校ガイド 第7課究極の忠誠 戦場での礼拝 2025年第4課

 何故、割礼の儀式や過ぎ越し祭りを開くようにされたのか。

「全知の神の摂理は、ルターが自分の力に頼って僣越に危険の中に飛び込まないように、その危険をルターに自覚させられた。しかしそれは、目前に迫るように思われた苦難や、死の拷問の恐怖が、彼を圧倒したのではなかった。彼は危機に直面していた。そして彼は、それに対する自分の無力さを感じたのであった。 」各時代の大争闘 神との格闘


「神がご自分のしもべを公的生活の舞台から退かせられたのは、単にルターを敵の怒りから保護し、また、このような重大な仕事のために静かな時を与えるためだけではなかった。これらよりもさらに尊い経験が与えられた。人里離れたさびしい山の隠れ家で、ルターは地上の援助と人間の賞賛から切り離された。こうして彼は、成功にしばしば伴う誇りと自己過信から救われた。彼は、苦難と屈辱によって、彼が突然あげられた目のまわるような高い所をふたたび安全に歩くことができるよう、準備が与えられたのである。」各時代の大争闘 改革事業と神の導き

家内が会津若松にあかしに行った時に、前の晩に「とても不安になった」と相談してきた。その時に、それは嫌な事ではなく、良い事。神様が自分の力に頼って飛び込まないようにしてくださる御恵み、あとは終わった後、神さまに栄光を帰すことができるように助けてくださる。人は、喉元過ぎると熱さ忘れるというとんでもない罪を持っている。

アコルの谷 どうして悪い人の名前を谷に残したのだろう。

ホセア書 2章15節

「その所でわたしは彼女にそのぶどう畑を与え、アコルの谷を望みの門として与える。」

再生の祭壇 どうして神さまは 祭壇を立てるようにされたのか。

「「神の友」アブラハムは、尊い模範を残した。彼の一生は、祈りの生涯であった。彼は、天幕を張ると必ずそのそばに祭壇を築いて、朝夕の犠牲を捧げるときに天幕内のすべての者を集めた。彼の天幕が移動していくと、祭壇はそこに残った。後年、アブラハムから教えを受けたカナン人が、そのあたりで放浪生活を営んだ。そうした人々のなかの誰かが祭壇を見つけると、そこに誰が住んでいたかがすぐにわかった。そして、そこに自分の天幕を張り、祭壇を修理して、生きた神を礼拝するのであった。」人類のあけぼの 第11章 神の召しに応じたアブラハム

「ヨシュアは、その時、人々に誓いを立てて言った、「おおよそ立って、このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。その礎をすえる人は長子を失い、/その門を建てる人は末の子を失うであろう」。」ヨシュア記6章

約400年?あと、ダビデ王のあと、背信の時、あかしになっている

彼(アハブ王)の代にベテルびとヒエルはエリコを建てた。彼はその基をすえる時に長子アビラムを失い、その門を立てる時に末の子セグブを失った。主がヌンの子ヨシュアによって言われた言葉のとおりである。列王記16章


「主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、/「日よ、ギベオンの上にとどまれ、/月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。民がその敵を撃ち破るまで、/日はとどまり、/月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。」ヨシュア記10章


月面着陸の時にコンピューターの計算が合わず、このヨシュア記の記録と、アハズの日時計が10度退いた記録を入力すると正常に動き始めた


「こうしてすべてのイスラエルびとは、本国人も、寄留の他国人も、長老、つかさびと、さばきびとと共に、主の契約の箱をかくレビびとである祭司たちの前で、箱のこなたとかなたに分れて、半ばはゲリジム山の前に、半ばはエバル山の前に立った。これは主のしもべモーセがさきに命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。」ヨシュア記8章33節

自分ならエバル山の前に立ちたくない、と祈っていた。すると

JFAからあかしがあり、宣教師たちがこの方にお会いする。

「クリスチャン家庭で育ち、お母さんは文書伝道者。今はお酒とタバコを吸うからしばらく教会は行っていなくて、バプテスマもうけていなくて、でも神様のことは信じていてお祈りもすると。そんな話をしていたら泣けてきて、最後お祈りして、」とのあかし

返信

「ヨーロッパ・・・共産主義でずっと宗教の自由が抑圧されていた国々・・・そこで40年?以上・・・たった一人で安息日に礼拝し、守っておられた方がいらっしゃいました。冷戦が終わったある時、教会の子供達が「今日は、ずっと向こうのあの家に行ってみよう!」と言いました。そして、彼女の家にみんなでやってきました。そしてこの方を教会に誘ったのでした安息日、彼女が教会に入ると、流れる讃美歌、礼拝説教、見るものすべてに感動され・・・彼女は、涙を流され、「子羊の婚宴のようだった・・・」と証されました。そして、それが彼女の何十年にわたった最後の安息日でした。彼女は数日して間もなく息を引き取ったのでした。何十年の間、たった一人で信仰を守り通した彼女・・・その生涯の最後に神様がご自身の教会に彼女をお導きになられたのでした。」宣教師の皆さん、このあかし会の子供たちのようですね。神さまにとっては大切な子供です

神さまは、ゲリジム山の前に立つ人々もお救いになられますが、エバル山の前に立つ人々をも救おうとなさる。アコルの谷はホセア書2章15節で望みの門になっています。聖書は驚くことばかりが書いてありますね」

なるほど、と思った

申命記には 戒めを守る人々への祝福をお約束が書いてあり、つづいて、戒めを破る人々への呪いが記されている。そして、最後に

「わたしがあなたがたの前に述べたこのもろもろの祝福と、のろいの事があなたに臨み、」

つまり、祝福あり、のろいの事があなたに臨み

「そしてあなたの神、主はあなたの心とあなたの子孫の心に割礼を施し、あなたをして、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主を愛させ、こうしてあなたに命を得させられるであろう。」申命記30章6節

神さまが心を造り変えて下さるお約束 1888年のメッセージ

「どうして信仰によって義とせられるという教理が、神様の律法を軽視させると考える必要があるのでしょうか。義とせられるというのは心に律法が確立される事です。・・・キリストは御自分の義を与え、罪を取り除き、御自分の義をそこに据えられます。これはその人を全く変えてしまうのです。」


「神の御言葉、義の言葉、生命の言葉が ”今”、”この場で”与えられています。あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。・・・世界で最も単純な事です。」

1)神さまの祝福を得た人も 申命記28章1~14節

2)「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」

私たちは、「自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っている人も 黙示録3章

3)「しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。」申命記28章15節

わたしは、もう駄目だ、汚い心しかない、信仰がない、絶望と思っている人々も

誰でも、

「あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。・・・世界で最も単純な事です。」

「割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。」 信仰による義認 本当に驚くべき真理です。








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