信仰の巨人 ヨシュアとカレブ 2025年第4期 第8課
「今立つことのできる人は、心から全く決心している男女である。キリストはしもべたちを何度も振るわれて、ある時には、クリスチャン教会の基礎を置くのにわずか11人と2、3人の忠実な婦人しか残らなかった。負わねばならない重荷に遭うと退くが、教会のすべてが燃えているときにこは、彼らは熱中して歌い、叫び、有頂天になる。しかし彼らを見つめてみよ。その熱が冷めたとき、わずかな少数の忠実なカレブたちだけが前に出てきて、ゆるぎない節義を示すであろう。こういう人は風味を保つ塩である。教会に本当の助けが現れるのは、御業の進展が困難なときである。」
リバイバルはいつ?教会のすべてが燃えている ではない。それは熱が冷めたとき、御業の進展が困難な時、つまり、今である。
残りの領土をいただいたヨシュアさん
思いっきり外れて
ヨシュアさんは、「子よ」と呼んだカレブさんとその家族を忘れなかったと思う。自分の指示で、アイで戦死した人々を忘れなかったと思う。
日清戦争で勝利し、その報告を天皇陛下に報告した将軍は、その勝利報告をした時に、多大な犠牲を払った事に 「一生の不覚にて」と泣き崩れたと言います。
「神のために忠実に働いたネヘミヤにとって、このやむを得ぬ厳格さがどれだけ彼の心を痛めたかは、審判の時にのみ明らかにされることであろう。反対の勢力との争いが絶えず起こり、断食と屈辱と祈りによってのみ、前進することができたのである。」国と指導者 第57章 改革が始まる
「かつては十字架を認める準備のできていなかった彼は、今、福音のために命をささげることを喜び、ただ、主を拒んだことのある自分は、主と同じ死に方をするという大きな栄誉には値しないということしか思わなかった。ペテロはその罪を心から悔いて、キリストにより既にゆるされていた。羊と群れの小羊を養う高い使命が彼に与えられていたことがそれを示している。しかし彼は自分を決してゆるすことができなかった。最後の恐ろしい場面の苦しみを考えてさえも、彼のはげしい悲しみと後悔の念は軽くならなかった。最後の願いとして、彼は頭を下に向けて十字架に釘づけされるようにと執行人に頼んだ。この願いは聞き入れられて、この方法で偉大な使徒ペテロは死んだ。 」艱難から栄光へ 第52章 最後まで忠実に
「サウロは3日間「目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった」。この魂の苦悩の日々は彼にとっては長い年月のようであった。ステパノが殉教したときに自分が受け持った役割を、彼は苦悶しながら何度も思い出した。ステパノの顔が天の光に照らされていたときでさえ、祭司や役人の悪意や偏見に彼自身ふりまわされてしまった罪を、ぞっとする思いで思い出した。最も印象的な出来事に目や耳をふさいでいたこと、ナザレのイエスを信じる人々への迫害を冷酷にせき立てたことが幾たびあったか、サウロは悲しみに打ちひしがれながら繰り返し数え上げた。 」艱難から栄光へ 第12章 迫害者から弟子へ
「まもなく、福音の敵どもの殺人計画は実行された。ルステラの人々は悪の力に屈服していたので、サタンの怒りに満たされ、パウロをつかまえて情け容赦なく石を投げつけた。使徒は自分の生命もこれで終わりだと思った。ステパノの殉教と、その時パウロ自身がとった残酷な行為が、彼の心にはっきりとよみがえってきた。」艱難から栄光へ 第18章 豹変した群衆
「キリストはすべての正しい動機の根源であって、彼のみが人の心のうちに罪を憎む心を植えつけることができるのです。真理や純潔を求めること、自分の罪深さを認めることなどはみな、キリストの霊が私たちの心に働いている証拠です。」キリストへの道 悔い改め
「世俗の人々は、この悲しみを一つの弱さと公言するかもしれない。しかしこれこそ、悔い改めた者をたちきることのできないきずなで限りないお方に結びつける力である。それは、かたくなな心と罪とがのために失われた恩恵を、神の天使たちが魂にとり戻してくれていることを示す。悔い改めた者の涙は、聖潔という日光に先立つ雨のしずくにすぎない。この悲しみは、魂の中の生きた泉となる喜びの先ぶれである。」各時代の希望 第31章 山上の垂訓
罪を思い出し、悔いることはネガティブな事ではない。
そして、私たちはこの地上で起こったネガティブの事はすべて忘れる。被造物だから。
イエスさまは創造主、全知、全能の御方だから、滅んでいった人々を忘れない。
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