出エジプト記 2025年安息日学校ガイド第2期 第3課
「「パロは言った、「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。それだから、『行って、主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定めた数のれんがを納めなければならない」。イスラエルの人々のかしらたちは、「れんがの日ごとの分を減らしてはならない」と言われたので、悪い事態になったことを知った。」
「モーセは主のもとに帰って言った、「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。なんのためにわたしをつかわされたのですか。 わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」。出エジプト記5章
どうして?
「 ヘブル人は、特別に信仰の試練や、真の苦しみ、困難にあわずに自由を獲得することを期待した。しかし、彼らには、まだ、救われる準備ができていなかった。彼らには、神に対する信仰がほとんどなかった。また、神が彼らのために働くのに最適だと思われるときまで、忍んで苦しみに耐える気持ちがなかった、異国に移住することに付随した困難にあうよりは、奴隷のままでいたほうがよいと思う者か多かった。また、エジブト人の生活になじんでしまった者は、エジプトに定住することを選んだ。そのため、主はパロの前で最初に力をあらわされたときに、彼らをお救いにならなかった。神は、いろいろな出来事を支配して、エジプト王の残酷な精神がつのるのを許し、それとともに、ご自身を民にあらわそうとなさった。人々は、神の義と力と愛とを見ることによって、エジプトを離れ、神の 奉仕に献身するようになるのであった。もし多くのイスラエル人が、これほどまでに堕落せず、また、エジプトを離れることをきらわなかったならば、モーセの働きは、はるかにやさしかったことであろう。」 人類のあけぼの エジプトの災い
わたしはエジプトの奴隷のままがいい、と思っていた人が結構いた。そのために人々がエジプトを離れるようにされた。
バビロン捕囚も同じ クロス王がエルサレムの帰還を許した時も、大部分はバビロンがいいと行かなかった。とうとう、エステル王妃の時の災いがあって、帰る気になった人が大勢いた。
神さまは 今もままでいい、私は変わりたくないと思う人々がたくさんいることをご存じ、そのために罪をお示しになられ、造り変えられたいと神様に帰ってくるようにされておられる。
暗唱聖句 「パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。」
さて主はモーセに言われた、
「エジプトの王パロのところに行って、彼がイスラエルの人々をその国から去らせるように話しなさい」。出エジプト記6章11節
こんな絶望的な人に神様は 一回ではなく 何度も何度も働きかけ、高慢な心が低くされ、ついには天地の創造者をまことの神として認めるようになった。
パロも何度も来られてびっくりしたはず。
「モーセは、神がエジプトに罰を下し、驚くべきみ力の現れによって、イスラエル人を救い出されるまで、王は、譲らないであろうと知らされた。モーセは、もし、王が災いからのがれようと思えば、避けることができるように、1つ1つの災いが降される前に、それがどういう性質のもので、どういう結果になるかを説明するのであった。1つの刑罰を彼が拒むたびに、さらに激しい刑罰が続いて降り、パロの高慢な心が低くされ、ついには天地の創造者をまことの生きた神として認めるようになるのであった。もし、エジプト人が主の命令に逆らうならば、主は、それを彼らの偉大な人々の知恵がどんなにむなしく、彼らの神々の力がどんなに弱いものであるかを知る機会にしようとされた。神は、エジプト人を偶像礼拝のゆえに罰し、彼らがなんの感覚もない神々から祝福を受けたといって誇っていることを沈黙させようとされた。こうして、諸国の人々は、神の力を知らされて、その偉大なわざに恐れおののくのである。また、神の民は、偶像礼拝をやめて、神に純粋な礼拝をささげるようになり、神ご自身の名があがめられるのである。 」人類のあけぼの
「モーセはこのようにイスラエルの人々に語ったが、彼らは心の痛みと、きびしい奴隷の務のゆえに、モーセに聞き従わなかった。」
彼らはすでに神さまの奇跡を見ていたが、すっかり忘れてしまっている。
「また彼は民の前でしるしを行ったので、民は信じた。彼らは主がイスラエルの人々を顧み、その苦しみを見られたのを聞き、伏して礼拝した。」出エジプト記4章
コメント
コメントを投稿