存在理由

神さまがイスラエルの民に、カナンの地に入っていくようにお命じになった時、彼らは、10人の斥候の「巨人がいる」などの報告を聞いて、恐くなり入りませんでした。

しかし、今度は神さまが入って行ってはならない、とお命じになった時、入って行かなければ、「恐かったんだろうな」と理由ははっきりしますが、彼らは何とその「巨人がいる」はずの地に入っていきます。

どう考えてもおかしい。メンタルか? 恐かったのではないのです。理由がない。

「それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。」ヨハネによる福音書

なぜなら、最も驚くべき真理は、キリストが、あなたには価値がないというまさにその理由により、あなたを買いとられたということです。彼の目はあなたの内に大いなる可能性を見てあなたを買いとられました。その時あなたに価値があったからとか、今価値があるからではなく、彼があなたを価値あるものにすることができるからでした。

キリストそしてキリストの義 第10章 神に受けいれられるということ E.J.ワゴナーhttps://small-light-testimonies.blogspot.com/2016/02/10-ej.html

神さまは私に価値があったら、愛されたのではありません。理由はありません。

「愛の告白なされると往々にして、恋人は、まるでだれかが愛する理由を言えるかのように「どうしてあなたはわたしを愛するのか」と尋ねます。愛はそれ自体が理由です。もし恋人が相手になぜ愛するかをつけることができれば、その答そのものが彼は本当に愛していないことを示しているのです。愛する理由として彼があげることは何であれ、それらはいつかなくなるかもしれません。そうすれば彼が愛だと思ったものも終わることでしょう。しかし、「愛は絶えることがない」から、愛は環境に依存することはありえません。ですから、何故愛するかという問いに答えられる返事は、「だから」です。「愛だから」愛します。それが愛だからにほかなりません。」

THE GLAD TIDING よきおとずれ ガラテヤ人への手紙に見る福音 E. J. ワゴナー

https://small-light-testimonies.blogspot.com/2024/11/blog-post_9.html


イエスさまが、救おうと思われた。

イエスさまが憐れもうと思われた。

イエスさまが生きてほしいと思われた。

イエスさまが天国に入ってほしいと思われた

それが私の存在理由です。他に理由があるとあまりにもろい

われわれは、十字架の光に照らして神のご品性を学ぶときに、あわれみと慈愛とゆるしが公平と正義に入り混じっていることを見る。神の玉座の真ん中に、人間を神と和解させるために受けられた苦難のしるしを、その手と足とわきに持っておられるかたを見るのである。無限の父なる神が、近づくことのできない光の中に住んでおられ、それでもなおみ子の功績によって、われわれを受け入れて下さるのを見るのである。悲惨と絶望しかもたらさないように見えた報復の雲は、十字架の光に照らしてみるときに、次のような神の筆のあとをあらわすのである。生きよ、罪人よ、生きよ。あなたがた、悔い改めて信じる人々よ、生きよ。わたしは、あがないの価を払った。 艱難から栄光へ 艱難と栄光

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章

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