100日間の祈り  26日目 ユナイテッドプレイヤー 2026年5月26日 ヨハネによる福音書9章13-34節

わたしも癒していただきました 

「人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人たちのところにつれて行った。イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか」。「預言者だと思います」と彼は言った。ユダヤ人たちは、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じなかった。ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、尋ねて言った、「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っているむすこか。それではどうして、いま目が見えるのか」。両親は答えて言った、「これがわたしどものむすこであること、また生れつき盲人であったことは存じています。しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもうおとなですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである。彼の両親が「おとなですから、あれに聞いて下さい」と言ったのは、そのためであった。そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです」。そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。生れつき盲人であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。」

「かなり、重症の皮膚病ができて、これがとってもかゆい、薬をつけても、病院に行っても治らない・・・自然療法の力もお借りしてしばらく良くなったりはしたのですが・・・何をやっても解決策がありませんでした。ある時、あまりのかゆさに本当に困ってしまい、「これが治ったら何もいらない」とまで思い、主に真剣に祈りました。「どうか、癒してください。これが治ったら十分です」その時を期に病は消え、忘れてしまっていて、今は「前はそうだったな~」と思い出になっています

これが治ったら、何もいらない、と思っていました、憐れみ深い主は、それから後も、溢れるばかりのお恵みを注いでくださっています」

2010年12月19日

昨日の安息日は本当に主イエス様の祝福で溢れていました。1週間、舌が痛くて、食べられない、飲めない、話せない状態・・・体力は落ちるし、仕事上もコミュニケーションがうまく取れない。相手の方々に「申し訳ないな~」との日々が続きました「話せること、感謝の言葉を述べること、ちょっとした言葉を語ること、すべて、主イエス様の一方的なお恵みである」ことを痛感しました

さて、安息日は、安息日学校で挨拶をする役割がありました。その日の夜中に痛みで起きた時まで、「代わりの人に交代してもらおうかな」と思っていました

しかし・・・

足元にも及ばない信仰の大先輩方が安息日には力をいただいて話すことがでした証なども思い出し、祈りでした


朝、起きて、舌に薬をつけようとした時、驚きが走りました。舌の潰瘍がない・・・

つるつるしていました

心は定まり、教会に向かったのです。

挨拶も、痛みのことなどまったく気にかけず、全世界で働いておられる

クリスチャンの働きを話し、無事に終えることができました。


あまりに素晴らしいことで、さっそく礼拝が終わったら先輩方に証し・・・でした。


さて、この日はもう1つ難関がありました。

午後、老人ホームのクリスマス会があり、クリスチャンの方とそこに参加することになってました

そこでは食事が用意されています。


食べられないと・・・雰囲気を壊すな~と思って、断った方がいいかな~とも思いました

しかし、無事に食事もいただけて・・・(^^)


ご一緒のテープルに座られた入居者の方と、そのお嫁さん、お孫さん、お友達

そのお嫁さんは、ミッションスクールに前に学ばれた方でした。

讃美歌を開いて、何曲も一緒に歌ったり、讃美歌の美しさ、力強さなどなどについて話し合えたひと時でした。「わたしも教会に行こうかな、何かの御縁だし・・・」と話されていました。若いお孫さんも真剣に聞いていらっしゃいました

とっての祝福された時でした


ご一緒させていただいたクリスチャンの方からはクリスマスプレゼントまでいただいて・・・

帰りは、レストランで2次会でした(^^)/


クリスマス・・・他にもとっても嬉しいことが数々ありました

それは、安息日教会で周りの方々が幸せになっていく証を数々きいて・・・

感謝されている姿を見たことでした。



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