100日間の祈り 22日目 ユナイテッドプレイヤー 2026年5月21日 マタイによる福音書18章21-35節
そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
22 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。
23 それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
24 決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
25 しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
26 そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
27 僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
28 その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
29 そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
30 しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
31 その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
32 そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
33 わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
34 そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
35 あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
そうだね、人をゆるさなければならないね、と思って、許せない人のことを考えるのも良いのかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか
たしか、あかしの書に、「彼は100デナリのことばかり考えていた、」 ばかり…という言葉が目に飛び込んできました。そう、自分は人の欠点、許せない人の事ばかり、また許せない自分のこと「ばかり」を考えていたのです。
祝福の山に「悔い改めとは、自己からキリストへと向きなおることである。」とあり、
心が1万タラント 1タラント、約3000万円×1万 3000億円 イエスさまからいただいている3000億円
つまりイエス様の方へ向き直った時に大きなお恵みをいただいたのでした。
「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」
イエスさまは、七たびを70倍するまで許し下さいます。
イエスさまは1万タラント、を許し下さいます。しかもすでにお許しくださいました
あなたの罪は赦された、このたとえはなんという保証だろうか。
自分は赦されていない。自分はいつか罰が当たる、と思っている方はいますか。
イエス様が、7たびを70倍するまで許しなさいと仰せになられた、それならば、私たちにもそうしてくださらないはずがあろうか。
100デナリ 100万円 決して小さな額ではない。なのでイエスさまは人を許すということがそんなに簡単な事とか、とはおっしゃっておられない。
しかし、そんなことばかり考えて人生を送るのは、本当にみじめ、それよりも1万タラントの方へ心を向ける。イエス様の事、1万タラントのことばかり考える。あなたの罪はすべて許された。
この譬はなんと素晴らしい保証だろう。
コメント
コメントを投稿